日本のウィスキーの父竹鶴政孝の生誕地 広島県竹原市でぶらり旅

ウィスキーの瓶が美しく並んでいる様子
A_styleさんによる写真ACからの写真
赤い風車が軒差に飾ってある竹原の街並み。
くろすけさんによる写真ACからの写真

古くから瀬戸内の交通の要衝として栄え、現在は「安芸の小京都」という異名で古き良き時代を感じさせる街並みが美しい広島県竹原市

筆者も安芸灘大橋で蒲刈島の祖母の家へ向かう際、車で何度も通過した懐かしい場所です。(蒲刈島を紹介した記事はこちら)

そんな竹原の地で生まれ、後に日本のウィスキーの父として日本中にその名を知られる人物となった竹鶴政孝をご存知ですか。

竹鶴政孝の胸像。
竹鶴政孝の像

彼の功績は世界中で今も尚称えられ、2014年のNHK連続テレビ小説「マッサン」では、主人公のモデルとして取り上げられました。

マッサンとマッサンのウィスキーづくりを支える外国人妻エリーとの温かいお話は皆さんの記憶にも残っているのではないでしょうか。

今回はそんな彼の生涯と日本のウィスキー誕生までの道のりを辿りながら、竹原観光も楽しめる情報を皆さんにお届けします。

マッサンこと竹鶴政孝ってどんな人 その生涯に迫る

まずは日本のウィスキーの父として、その名を世界に馳せる竹鶴政孝の生涯を詳しく見ていきましょう。

竹原生まれのまっすぐな青年と酒との出会い

竹原市の街並み。
写真提供:広島県

1894年広島県賀茂郡竹原町(現竹原市)「竹鶴酒造」の蔵元の三男として生まれた政孝。

竹鶴酒造は1733年から続く老舗の酒造です。

元々竹原の水は軟水で酒造りに向かないと言われていた中、その弱点を見事に克服し酒屋として成功を収めた父敬次郎の背中を幼い頃から見てきた政孝には、生粋の職人としての心得が備わっていたのかもしれません。

1949年、ジョゼフ・ドッジ(手前右)と握手を交わす池田勇人(左)

1949年、ジョゼフ・ドッジ(手前右)と握手を交わす池田勇人

兄二人は実家を継ぐ意志がなかった為、三男の政孝は大阪高等工業学校醸造科で学ぶこととなります。

余談ですが、後の内閣総理大臣として知られる池田勇人とは、忠海中学時代の先輩後輩にあたり、政孝の布団の上げ下ろし役が池田勇人だったとか...

池田氏が亡くなるまで政孝との交流は続き、政孝の影響を大きく受けた池田氏は国際的なパーティーで日本のウィスキーを用いることを推奨していたようです。

酒造りのもろみがたっぷり入った樽。
オハヨーさんによる写真ACからの写真

話は戻って大阪工業学校醸造科で出会った先輩の岩井喜一郎を頼り、卒業後は摂津酒造に入社し酒造りを始めます。

またこの頃から政孝は酒造りの中でも特に洋酒に興味を抱くようになっていたので、希望の洋酒部門へ配属されました。

酒造りへの情熱と認められた才能

赤ワインの入ったグラスが並んでいる写真。
参照:ODAN

入社早々主任技師に抜擢され日々酒造りに熱中する政孝。

その年の夏、とある事故が起こります。

徹底したアルコール殺菌が行われていなかった葡萄酒の瓶が次々とお店で破裂してしまったのです。

ワインを持った女性が写っている白黒のポスター。

1922年(大正11年)撮影のポスター

そんな中でも、政孝が製造した赤玉ポートワインだけは、とことん殺菌を行っていた為に酵母の増殖に繋がらず一つも割れずに被害を免れました。

この出来事がきっかけで政孝の酒造職人としての評判は一層高まり、世間に広く知られるようになっていったのです。

そしてその後間もなくして、政孝は最愛の人となる妻と、生涯をかけて向き合うこととなるウィスキーに出会うことになります。

ウィスキーそして最愛の妻との出会い

グラスにウイスキーを注いでいる様子。
参照:ODAN

政孝が勤務して数年後のこと。

摂津酒造は19世紀にアメリカからウィスキーが輸入されて以来、国産のウィスキーがない現状を変えようと「日本のウィスキー」づくりに乗り出すことを決意しました。

そこで政孝は社長と常務の命を受け、1981年に単身でスコットランドに留学します。

スコットランドと言えば、スコッチウィスキーの本場。

政孝の胸は高鳴っていました。

アンティークな机とペンが置かれた写真。
だいにゃんさんによる写真ACからの写真

スコットランドに到着すると政孝は、ウィスキー蒸留所で人が嫌がる仕事もすすんで引き受け、人一倍熱心にノートとペン1本でウィスキーについて勉強しました。

この政孝の姿に心を打たれた熟練の職工が、日本でのウィスキーづくりの基盤となるスコッチウィスキーのノウハウを丁寧に教えてくれたそうです。

こうして政孝の指針となるウィスキーづくりの考え方が生まれたのです。

ウィスキーを決定するのは技術だけでなく、大麦、水などの自然であり、

その自然を敬ひ酒をつくり上げる人間の心、

そして熟成させる時である。

ニッカウィスキー公式HP「竹鶴政孝物語」より

竹鶴政孝と妻の像。
くろすけさんによる写真ACからの写真

時を同じくして政孝はスコットランド滞在中に知り合った女性と親しくなり、意気投合した二人は1920年に結婚します。

彼女こそが政孝の最愛の妻でありウィスキーづくりを陰で支えた女性、リタでした。

当時の国際結婚は珍しかっただけでなく、良家の子女と酒屋の跡取りを考えられていた三男の結婚に対し互いの家族は猛反対。

白黒写真が沢山張られている。
Guidoorスタッフ撮影

それでもリタは日本で政孝と暮らす決意が固まっていた為、そのまま二人で帰国したのでした。

リタは慣れない日本での生活でも、政孝の妻として世間に認めてもらえるようにと健気に日本食を学んで作ったり、積極的に近所の人たちとの関係を築いていったり内助の功に徹した立派な女性です。

リタの人生についてはまた機会があれば詳しくお話ししたいと思います。

日本のウィスキー誕生物語

竹鶴政孝の資料がガラスケースの上に並べられている。
Guidoorstaff撮影

帰国後第一次世界大戦後の世界恐慌の煽りを受け摂津酒造はウィスキーの製造を諦めたため、政孝は断腸の思いで退職。

職を失った後はリタの頑張りで家計を支えてもらいながら、政孝は教師として教壇に立つ日々を送っていました。

そんな中、現サントリーの洋酒製造販売業者寿屋が本格的な日本のウィスキーづくりに着手したことを契機に、ウィスキーづくりに精通した人材を社長が探していたところ政孝の名前が挙がったため、政孝は寿屋に入社する運びとなりました。

サントリーウィスキーホワイトのボトル

引用:サントリー公式HP「サントリーウイスキーホワイト」

政孝は山崎蒸留所にて初代所長となり、事務員とたった二人の小さな工場で日本のウィスキーづくりを始めることとなりました。

こうして試行錯誤の末に1929年にできたのが『サントリー白札』(現在のサントリーホワイト)。

日本初の本格派国産ウィスキーの誕生でした。

グラスにウイスキーが入っている写真。
参照:ODAN

しかしながら、今まで模造のウィスキーに飲みなれていた日本人にとって本場スコッチウィスキーからヒントを得た本格派のウィスキーは当初受け入れられなかったそうです。

今の日本で考えれば信じられないですが、新しいものはそれが本物であってもなかなか浸透するまでに時間がかかるというのはよくあるお話かと思います。

その後政孝は他工場の工場長も兼任するようになりますが、部下が育ってきたことや当初会社と約束していた10年の月日が経ち自分の方向性と会社の方針にすれ違いも生じた為、1934年寿屋の退職を決意しました。

北海道余市で理想のウィスキーづくり

余市駅の冬の景色。雪が積もっている。
Inushitaさんによる写真ACからの写真

もっと自分が理想に描いたウィスキーづくりをしたいと妻と共に降り立ったのはスコットランドの気候に近い北海道余市でした。

製造から出荷まで数年かかるウィスキーづくりの基盤を支えるため、当初はりんごジュースを手掛けることで資金集めを目論んでいました。

しかし、当時の日本ではりんごジュースにあまり馴染みがなく資金繰り調達のための品が逆効果に...

ニッカウヰスキーのボトルが3本並んでいる様子。
参照:ODAN

それでも株主の後ろ盾や周囲の恩恵を受け、長年の苦労の甲斐あって、政孝の追い求めていたウィスキーが遂に完成しました。

それが皆さんの良く知る「ニッカウヰスキー」です。

幾多の苦労を乗り越えて、そして献身的な妻の支えがあって、政孝は若かりし頃からの念願だったウィスキーづくりを生涯をかけて成し遂げることができたのです。

「日本のウィスキーの父」の故郷竹原市の魅力を味わう

日本初のウィスキーを作り成功を収めた竹鶴政孝の生涯を辿ったところで、今度は彼が生まれた街「広島県竹原市」の魅力を歩きながら見ていきましょう。

竹鶴政孝の生家を訪ねる

竹原市の保存地区の写真。昔ながらの街並みが美しい。
写真提供:広島県

JR竹原駅から10分ほど歩くとそこは昔懐かしく美しい街並みが残る「たけはら町並み保存地区」。

この一角に日本のウィスキーの父竹鶴政孝の生家「竹鶴酒造」があります。

竹鶴酒造の木桶を男性が眺めている。
写真提供:広島県

NHK連続テレビ小説「マッサン」でもロケ地として使われた竹鶴酒造は、1733年に酒造業を開始し今も尚伝統の日本酒を守り続けています。

その特徴は、「自然の恵み」を生かしていること。

樽が床一列に並んでいる様子。
写真提供:広島県

具体的に言うと、米そのものの素材や水本来が持っている特性を生かした純粋な酒造りで、できたありのままの姿で勝負しているため全商品炭濾過は一切しないという徹底ぶりです。

こだわり抜かれた酒造りは代々受け継がれ、個性のある本物の日本酒として人々に親しまれています。

竹鶴の日本語の瓶2本が並んでいる。
写真提供:広島県

酸の強さと深い味わいは様々な料理との相性も良く、もちろん冷でも燗でもそれぞれの味の違いを楽しみながら飲み比べることができます。

2009年からは古くから保存されていた木桶を使い、木桶仕込みを復活させたことでも注目されています。

ぜひ本場の日本酒の味を堪能し、竹鶴政孝のルーツを辿ってみてください。

竹鶴酒造
公式WEB:HOME | 竹鶴酒造株式会社 | 日本酒 (taketsuru-shuzou.co.jp)
住所  :広島県竹原市本町三丁目10-29
TEL  :0846-22-2021
営業時間:8:00~12:00、13:00~17:00
定休日 :土・日曜日

創業150年の蔵元で味わう

藤井酒造の外観。古く趣ある日本の家屋。
写真提供:広島県

お酒好きには堪らない歴史ある酒造が並ぶのも竹原の街の魅力の一つ。

続いては、江戸時代末期1863年から続く「藤井酒造」を訪ねてみましょう。

藤井酒造で男性が酒造りをしている様子。
写真提供:広島県

今も地下水を水道水として使用している水に恵まれた土地竹原で、酒造りを始めて150年余り。

水の文化と共に豊富な海の幸に恵まれ、海産物が並ぶ食卓にいつの日も日本酒が彩りを添えてきた中で、藤井酒造は大量生産ではないながらもひたむきに日本酒を造り続けてきました。

藤井酒造で女性が酒造りをしている様子。
写真提供:広島県

中でも創業以来絶やすことのない銘柄「龍勢」は、日本政府が清酒技術の研鑽・向上を目的に開催した『第一回全国清酒品評会』にて最優秀第一位を受賞した逸品です。

また藤井酒造のこだわりは「食中酒」と呼ばれる食事と共に楽しむお酒に力を入れていることです。

ぜひ本物の日本酒と料理のマリアージュを楽しんでみてくださいね。

藤井酒造
公式WEB:藤井酒造
住所  :広島県竹原市本町3-4-14
TEL  :0846-22-2029

光を纏う歴史的な街並みの美しい祭典

竹原市憧憬の路、夜の景色。
写真提供:広島県

続いては、江戸時代から続く歴史深い美しい街並みが年に一度ライトアップされる「憧憬の路(しょうけいのみち)」をご紹介します。

毎年10月末または11月最初の土曜・日曜にたけはら町並み保存地区では、竹筒に入れた蝋燭が灯され幻想的なライトアップが行われています。

夜にライトアップされた竹原市憧憬の路の様子。
写真提供:広島県

元々は、1999年にイベントの構想が練られ、2003年から今のような形で街をあげてのイベントに発展しました。

昼間の風景とは異なり、そこはまるで映画の世界に迷い込んだような情景が広がります。

夜の竹原市憧憬の路。
写真提供:広島県

期間中は5000本の竹灯篭から溢れるろうそくの灯りを楽しめるだけでなく、酒造liveやフォトコンテストなどイベントも盛りだくさん。

ぜひ竹原の年に一度のイベントで、今までとは違う新しい街の一面を覗いてみてください。

第17回 町並み竹灯り~たけはら憧憬の路~

公式WEB:たけはら憧憬の路
開催期間:2019年10月26日(土)~2019年10月27日(日)
開催時間:17:00~21:00
開催場所:町並み保存地区一帯
TEL  :0846-22-7745(たけはら憧憬の路実行委員会(竹原市産業振興課))
料金  :入場無料
イベント内容:まちかどライトアート・町並みアートギャラリー・酒蔵ライブ・庭園ライブ・古民家ライブ・流し踊り・憧憬の路フォトコンテスト他

古き良き時代の建物から歴史を感じる

松阪邸の中から見える風情ある庭の様子。
写真提供:広島県

今度は江戸時代末期、文政の頃に建てられ明治12年に改築された代表的な商家の建物「松阪邸」を見学してみましょう。

足を踏み入れただけでその時代にタイムスリップした気分を味わえる落ち着いた雰囲気に癒されます。

松阪邸の趣ある様子。
写真提供:広島県

唐破風(からはふ)の屋根や庇(ひさし)、出格子(でごうし)などずっしりと重厚感のある佇まいは、一種の風格さえ感じるほど立派な日本建築の美しさを体現しているのが見て取れます。

当時は製塩業や醸造業で栄えていた商家。

歴史に思いを馳せながら、当時の人々の生活を想像するのも貴重なひと時となるのではないでしょうか。

松阪邸
住所  :広島県竹原市本町3-9-22
TEL  :0846-22-5474
開館時間:10:00~16:00(入館は15:30まで)
休館日 :水曜日(祝日は開館)12月27日から1月3日
入館料 :大300円・18歳以下/市内の75歳以上無料

竹原と竹から生まれたかぐや姫は切っても切れない?!

竹原のマンホールの写真。
くろすけさんによる写真ACからの写真

竹原といえば、やはり一番に思い浮かぶのは「竹」です。

筆者も竹原をドライブする際は至る所で竹にまつわるものを見つけていました。

そもそもの竹原という地名の由来は「竹の原」からきている説と荘園の管理者が「竹原氏」であった説に二分されているので本当の竹との関係は筆者もわかっていません。

竹原の風情ある竹林の様子。
写真提供:広島県

そうはいってもやはり「竹」のつく地名にあやかり、かぐや姫にまつわる面白い美術館が竹原に存在しているので見逃せません。

儚く切ない「竹取物語」の主人公であるかぐや姫を題材にした「かぐや姫美術館」です。

竹藪の写真。
クラウドfunさんによる写真ACからの写真

館内には、かぐや姫の人形や書籍、フランス生まれの芸術家園山春二氏(尾道イーハトーブでも作品が見られます。尾道の記事はこちら)のおとぎ話の板絵や招福アートを鑑賞できます。

幻想的なかぐや姫の世界に足を一歩踏み入れてみませんか。

かぐや姫美術館
公式WEB:広島竹原観光ナビ
住所  :広島県竹原市忠海床浦二丁目12-8 本立寺内
TEL  :0846-26-0982
営業時間:10:00~16:00
休館日 :不定休
入館料 :無料

風情ある街並みが魅力な竹原市

竹鶴の夜の街並み。足元のライトアップが美しい。
KUZUHAさんによる写真ACからの写真

広島県竹原市。この美しい街は、日本ウィスキーの歴史に輝く竹鶴政孝の生誕地です。
我々は、彼の情熱と才能がこの地から世界へ届いたことを誇りに思います。ここで織り成す歴史的な街並みの散策は、新たな発見に満ちた特別な冒険へと導いてくれました。

竹鶴政孝の物語は、ウィスキーの枠を超えて、情熱と創造性の結晶です。彼の足跡が深く刻まれた竹原市で、彼の精神を感じながら歩いたことはまさに感慨深い瞬間でした。

この旅が、彼の遺産を讃えるだけでなく、我々自身の人生にも新たな意義をもたらすことを信じています。

竹原市は、まだまだ未知の魅力にあふれています。
古き良き日本の趣と現代の息吹が調和するこの場所で、新しい一面を見つける旅は、まさに心に残るものとなるでしょう。

歴史と文化、そしてウィスキーの魔法が交差するこの街で自分自身と向き合い、新たなる可能性を感じてみませんか?

執筆:Honami

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