杉原が繋いだ命のバトン / ユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(9)

小辻節三 「日本のシンドラー」から引き継がれた命のバトンその3

杉原千畝が発給した「命のビザ」実物。杉原の名前もある。
命のビザ

小辻 節三(アブラハム こつじ せいぞう)1899年〜1973年
京都の加茂神社の宮司の家系に生まれる。聖書、ヘブライ語、ユダヤ教などの研究者。
明治大学神学部卒業後、北海道の教会へ牧師として赴任する。神道からキリスト教へ改宗、後にユダヤ教へと改宗。

杉原が発行した「命のビザ」の日本滞在期間の問題や、日本から安全に送り出す船便の確保など、ユダヤ人難民を救うために奔走した。

敦賀上陸後、ユダヤ人たちは新たな問題に直面することとなる。ビザの有効期限だ。

当初、杉原は外務省に「日本滞在30日」のビザを申請していたが、本省から拒否され、仕方なく10日間の通過ビザで処理せざるを得なかったのである。

ところで、当時の「外国人入国令」の通過ビザの規定には日本滞在期間が14日以内となっていたのに、なぜ杉原は14日ではなく10日で処理したのか。

この規定通りにビザを発給するためには、受け入れ国の入国確認ができ、交通費他必要な経費を所持しているなど所定の条件を満たしていなければならず、杉原のもとを訪れたユダヤ人のほとんどがこの条件を満たしていなかったため、規定通りの日数では申請出来なかったのだ。

10日間の有効期限のビザが意味すること、つまりそれは、日本に上陸したユダヤ人は10日以内に次にどこの国に行くか決めて出国しなければならないというものだった。

しかし、多くのユダヤ人が持っていたビザの行き先であるオランダ領キュラソーはカリブ海に浮かぶ岩だらけの小島で、税関もないので入国できるということでユダヤ人の窮状を救うために考えられた方便であった。

つまり、日本に上陸したものの次なる受け入れ国は無いも同然で、10日間という短期間で出国することなど不可能なことなのだった。

日本上陸後、多くのユダヤ人は当時日本で唯一のユダヤ人コミュニティがあった神戸へと向かっていた。

そこで途方に暮れるユダヤ人たちが、ユダヤ協会の働きかけで日本滞在延長への協力を要請したのが、ユダヤ教の研究者であり信者である小辻節三だった。

ユダヤ人からの手紙を受け取った小辻はすぐに神戸へと向かった。

小辻は彼らからの要請を快く引き受け、何度も一緒に外務省に掛け合い、日本滞在の延長を許可してもらえるよう要請したものの、まったく聞く耳を持ってもらえなかった。

困り果てた末、小辻は時の外務大臣である松岡洋右に直訴することにしたのだ。

実は小辻と松岡の間には、松岡が南満州鉄道の総裁をしていたとき、松岡自ら口説いて小辻を総裁室に所属させユダヤ研究をさせたという経緯があり、二人は旧知の間柄であった。

「私は独・伊と同盟は結んだが、ユダヤ人を殺す約束まではしていない。」との松岡の言葉が残されている通り、松岡はユダヤ人に対して非常に好意的であり、小辻に対して秘策を授けるのだった。

松岡は言った。

ビザ延長を決める権限は神戸の自治体にある。もし君が自治体を動かすことができれば、外務省は見て見ぬふりをすることを約束する。

この言葉を受け小辻は、外国人の滞在許可を発行する警察署の幹部を神戸一の料亭で接待した。要望を受け入れてもらうために最上級の接待は3回に及んだ。

打ち解け気心が知れた3回目の接待で頃合いを見計らい、その時初めてユダヤ人難民たちが直面している窮状を説明し、滞在許可の延長を訴えたのだ。

警察幹部は小辻の要請を受け入れ、一回の申請で15日間の延長を許可することにした。

申請は無制限にできるので、回数を重ねれば長期滞在も可能となった。

こうして出国までの時間的猶予を与えられたユダヤ人たちは、日本人から温かい飲み物や食べ物をふるまわれるなど手厚いもてなしを受けた後、アメリカ、イスラエル、香港、上海などへと安住の地を求め旅立った。

リトアニアの杉原千畝から始まった命のリレーは、ウラジオストクの根井三郎を経由して、ジャパンツーリストビューロの大迫辰雄へと繋がり、ユダヤ教学者の小辻節三へとバトンが渡されたのだった。

次回に続きます。

文/ガイドアメディア編集部
編集:Taro

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