「スカジャン」発祥の地、神奈川県横須賀市にあるドブ板通りを拠点に幅広く活躍されているスカジャン絵師 横地広海知さん。
今回は、スカジャンをこよなく愛し、日本の誰よりも熱心に研究をされている一人である「スカジャンの伝道師」ともいうべき横地さんにその魅力やルーツ、ファッションアイテムとしての奥深さについてお聞きしました。
そして、街の歴史と人々、枠組みや世代などの垣根を越えて活躍する秘訣など、横須賀の街に暮らす横地さんならでは貴重な話が盛り沢山!自分だけの新たなファッションアイテムをお探しの人にも必見です。ぜひあなたも「一生に一着のスカジャン」を!
横地広海知(よこち ひろみち)|スカジャン絵師・クリエイティブディレクター
1981年愛知県名古屋市出身。画家である父の留学に伴い、小学1年時一年間をパリで過ごす。神戸大学大学院で認知心理学と(結果的に)デザイン基礎論を学ぶ。面白法人カヤックでプランナー・ディレクターを経験し独立。イラストから専門学校設立などまでさまざまな制作に関わり、上流工程から制作業務まで幅広く手掛ける。クリエイションのゴールは暮らし作りと考え、近年は居住地横須賀で積極的に地域活動を行う。還暦スカジャン「還ジャン®」の柄デザインをきっかけにスカジャン絵師として活動を開始。
スカジャンとは?
サテン地に豪奢な刺繍を施したジャンパー。名前の由来には諸説ありますが「横須賀ジャンパー」の略というのが有力とされます。
1960年代ごろからそう呼ばれるようになっていたようです。そのルーツは、アメリカ軍兵士たちがジャケットにペイントや刺繍などを施したカスタマイズカルチャーにあるとされます。また、その意匠の発展には戦後世界中で同時に興ったスーベニア産業が大きく関わっていると考えられています。
2020東京五輪大会の公式ライセンス商品としても選ばれ、世界的にも注目されました。
また、アパレル業界では定期的にリバイバルが起こり、日本が世界に誇るファッションアイテムとしてその地位を確立しています。
スカジャンとの出会い – アメカジブームと名古屋時代に通った日本最高峰の古着屋
─横須賀を中心にスカジャン絵師、クリエイティブディレクターとしても活躍されていますが、横地さんとスカジャンとの最初の出会いについて教えていただけますか?
横地さん:私は愛知県の名古屋市出身で1981年生まれなんですが、ちょうど私がファッションに一番お金使う、高校生や大学生のころ、当時の日本では木村拓哉さんとか、浜田雅功さんがアメカジの古着を着ていて、超一大アメカジ古着ブームだったんです。
そのアメカジ古着を発信していたのが、日本全国に点在する、限られたカリスマ的な店舗だったんです。そして、ちょうど名古屋にもそんなお店があったんです。
「GREAT(グレート)」さんという古着屋に通っていました。誰しもが経験あると思うのですが、学生時代は、自分の街のお店が全てじゃないですか。当時の私は何も知らずにそこが最高峰だ!と思って、通っていました。
また、たまたま入った「DON’T(ドント)」さんというお店でアメカジのイロハを教えてもらって衝撃を受けたのを覚えています。
「GREAT」は当時、「GREAT 2nd」、「POWER」の3店舗だったと記憶していますが、古着の品揃えがよくて暇があると通っていました。今でも東京から草彅剛さんがスカジャンを買いに訪れるお店として知られています。内藤タイスケさんという店員さんにとてもよくしてもらい、古着の知識を教えてもらいました。
また、後になって知るのですが、実際にそこは日本有数のまさに最高峰のお店たちだったんです。
例えば「DON’T」さんは本物のアメリカンカジュアルのコレクターの人がリプロダクトして作っていて、当時いわゆる木村拓哉さんとかが何十万円とするリーバイスを履いていたのですが、それを木村さん本人に売っている人気店なんです。
たまたま学生時代から上質な古着やアメリカンカジュアルに触れられて、こういうものしか着たくないなぁ、と思ったんですね。
横地さんがスカジャンに出会った名古屋にある古着の名店たち
GREAT POWER(グレートパワー)
GREAT POWER(グレートパワー)
住所:愛知県名古屋市中区大須3-17-27 マップ
TEL:052-241-2855
営業時間:12:00(月曜日〜水曜日は13:00の場合あり)〜 20:00(19:30の場合あり)
定休日:木曜日
DON’T(ドント)
DON’T(ドント)
住所:愛知県名古屋市千種区猫洞通2-25 1F マップ
TEL:052-734-8445
営業時間:12:00~18:00
定休日:月曜日
「一生に一着のスカジャン」を!憧れを強く抱くようになった学生時代
横地さん:古着業界では地方によって傾向があるんです。名古屋や大阪ではとにかく派手なものが売れる傾向がありますね。
なので、スカジャンもその流れで、名古屋や大阪にウワーと集まってきてたんですね。下手すると、関東よりもスカジャンが売れていたんじゃないか、というほどですね。
当時の我々キッズからすると、「いつか何万円もするスカジャンを着るんだ!」という憧れがあって、その時は買えないけど「一生に一着の最高のスカジャンが欲しいんだ」って。
そんなふうに私の中で洋服や古着といった「カジュアルウェアの最高峰がスカジャンだ」という刷り込みがだんだんされていきました。いつかお金を貯めたら自分で一生に一着のスカジャンを買うんだという決意に繋がったんです。
もちろん当時は貧乏でそんな高額なものは買えなくて、大学を卒業してアルバイト先だけ決まった状態で東京に出てくるんですが、その時代も全く買えませんでした。
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