杉原が繋いだ命のバトン / ユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(9)

杉原千畝から引き継がれた「命のリレー」

卓上に書物を広げてこちらを見ている杉原千畝のモノクロ写真。
「日本のシンドラー」杉原千畝

杉原千畝が発行した「命のビザ」を手に入れたユダヤ人難民たちは、シベリア鉄道でおよそ2週間かけ極東のウラジオストクへ。

自らと家族の危険も顧みず、外交官としてのキャリアをも賭けて救いだしたユダヤ人たちは、どのようにして無事に第三国まで脱出することが出来たのか。

美しい自然が広がる様子。

杉原千畝について詳しく知りたい方はこちらから

※今記事ええは過去の記事を再編集し2023年2月6日再公開しました。

根井三郎 「日本のシンドラー」から引き継がれた命のバトンその1

根井 三郎(ねい さぶろう) 1902年3月18日 〜 1992年3月31日
根井 三郎は、当時のロシア・ウラジオストク日本総領事館総領事代理。
杉原千畝の発行した「命のビザ」を持ち、リトアニアから日本を目指してウラジオストクへ逃げてきたユダヤ人難民たちを、外務省からの訓令に抗議し、日本行(福井県の敦賀)の船への乗船許可を与えた人物。またビザを持たないユダヤ人には根井の独断で渡航証明書や通過ビザを発給した。

杉原と同じく旧制専門学校であるハルピン学院(日露協会学校)を修了しており、杉原の2年後輩でもある。

リトアニアから国外脱出を果たしたユダヤ人たちはシベリア鉄道に乗り、ウラジオストクに到着した。

当時、ウラジオストク総領事代理には、ハルビン学院(日露協会学校)において杉原の2年後輩であった根井三郎が赴任しており、根井は杉原同様に命からがら逃げ出してきたユダヤ人難民の窮状に深く同情し、書類不備を理由に日本入国に難色を示す本省に抗議した気骨の外交官でもあった。

本国の外務省が大挙して押し寄せる条件不備の難民に困惑し、ウラジオストクの総領事館にビザの再審議を厳命した記録が残っている。

「本邦在外官憲カ歐洲避難民ニ與ヘタル通過査證ハ全部貴館又ハ在蘇大使館ニ於テ再檢討ノ上行先國ノ入國手續ノ完全ナル事ノ確認ヲ提出セシメ右完全ナル者ニ檢印ヲ施ス事」

【現代語訳=日本の官憲がヨーロッパから避難してくる人々に与えた通過許可証は、あなたのところやソ連の大使館でもう一度調べて、行先国に入る手続きが終わっていることを証明する書類を提出させてから、船に乗る許可を与えること】

しかし、ユダヤ人たちの窮状を目の当たりにした根井三郎は、1941年(昭和16年)3月30日の本省宛電信において以下のように回電し、官僚の形式主義を逆手にとって、一度杉原領事が発行したビザを無効にする理由がないと抗議した。

「避難民ハ一旦當地ニ到着セル上ハ、事實上再ヒ引返スヲ得サル實情アル爲(・・・)帝國領事ノ査證ヲ有スル者ニテ遙々當地ニ辿リ着キ、單に第三國ノ査證カ中南米行トナル居ルトノ理由ニテ、一率檢印ヲ拒否スルハ帝國在外公館査證ノ威信ヨリ見ルモ面白カラス」

【現代語訳=逃げてきた人たちがここにまでやって来たからには、もう引き返すことができないというやむを得ない事情があります。日本の領事が出した通行許可書を持ってやっとの思いでたどりついたというのに、行先国が中南米になっているというだけの理由で一律に船に乗る許可を与えないのは、日本の外交機関が発給した公文書の威信をそこなうことになるのでまずいと思います】

― 1941年3月30日付の根井三郎による本省への抗議の電信

これら外務省本省とのやり取りは5回にも及び、ユダヤ人たちから「ミスター・ネイ」の名で記憶されている根井三郎は、本来漁業関係者にしか出せない日本行きの乗船許可証を発給して難民の救済にあたったという。

杉原と根井、二人の出身校であるハルビン学院は1920年(大正9年)、元南満洲鉄道株式会社の総裁、後藤新平の肝いりで設立されたロシア語を学ぶための専門学校であり、同校のモットー「自治三訣」は、「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして、報いを求めぬよう」というものであった。

一度はシベリアの地で断たれるかに見えたユダヤ人たちの命は、二人のハルビン学院卒業生の勇気ある行為によって救われたのだった。

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