【サンライズ出雲】寝台列車で山陰を旅してみた

終点出雲市駅に到着したサンライズ出雲
終点出雲市駅に到着したサンライズ出雲

列車旅行といえば、一般的には新幹線が主流ですが、その中でも寝台列車の旅には独特の魅力があります。

しかし、現代では定期運行の寝台列車は減少し、東京から出雲市と高松を結ぶ「サンライズ出雲・瀬戸」が貴重な存在となっています。
この旅行記では、その「サンライズ出雲・瀬戸」を利用した旅の魅力をお伝えします。

富士山の麓を疾走する東海道新幹線の様子。
東海道新幹線(出典:写真AC ずみんさん)

(この記事は過去の記事を更新し再公開しました。)

寝台列車の歴史と魅力

「サンライズ出雲」瀬戸が走っている様子。
サンライズ出雲瀬戸(出典:写真AC 太陽sunさん)

「サンライズ出雲」の話をする前に日本の寝台列車の歴史を簡単に振り返ってみましょう。

「ブルートレイン」の登場

夜行特急列車「あさかぜ」の様子。ブルーとクリーム色の車体。
あさかぜ(出典:写真AC HK-SANさん)

1956年、東京博多間に戦後初の夜行特急列車「あさかぜ」が誕生します。

そして「あさかぜ」に1958年20系客車を導入します。この客車は快適な旅を楽しめるよう設計され、「走るホテル」と評されました。

この当時は東京博多間を17時間25分で結んでいました。

「ブルートレイン」の様子。空の青さと同化している。
20系客車(出典:写真AC ぽかぽかさん)

またこの20系客車の車体がブルーに塗装されていたことから、国鉄(現在のJR各社)の寝台列車の総称が「ブルートレイン」と呼ばれるようになりました。

この「あさかぜ」は松本清張氏の推理小説『点と線』にも登場し、話題になりました。

主な寝台列車

かつて寝台列車としては東京発着、大阪発着の以下の列車が存在していました。

<東京発着>

富士が駅のホームに停まっている様子。深いブルーの車体。
富士で使われていた14系寝台客車(出典:photock)
方面列車名目的地備考
関西
中国
四国
九州
あさかぜ博多、下関 
富士西鹿児島日豊本線経由
はやぶさ西鹿児島鹿児島本線経由
さくら長崎 
みずほ熊本 
出雲出雲市、浜田 
瀬戸高松 
紀伊紀伊勝浦 
銀河(急行)大阪 
東北
北陸
北海道
はくつる青森東北本線経由
ゆうづる青森常磐線経由
あけぼの青森奥羽本線経由
北陸金沢 
北斗星札幌国鉄分割民営化以降の運行
カシオペア札幌国鉄分割民営化以降の運行

<大阪発着>

トワイライトエクスプレスがこちらを向いて走ってきている。
トワイライトエクスプレス(出典:写真AC hakutaka3goさん)
方面列車名目的地備考
九州あかつき長崎 
彗星南宮崎 
明星西鹿児島 
なは熊本 
東北
北陸
北海道
日本海青森 
つるぎ新潟 
トワイライトエクスプレス札幌国鉄分割民営化以降の運行

このようにたくさんのブルートレインが日本全国をつないでいました。

ブルートレインの衰退と消滅

しかし新幹線、飛行機、高速バスなどの普及により運賃や時間の面で太刀打ちすることが難しくなり、乗客は減少、徐々にブルートレインは姿を消していきました。

(左)北斗星の様子。
(右)カシオペアの様子。
北斗星(左)とカシオペア(出典:写真AC中村 昌寛さん、photo-abcさん)

そして2016年北海道新幹線の開通に伴い、「北斗星」・「カシオペア」・「トワイライトエクスプレス」が廃止され、現在夜行寝台列車は「サンライズ出雲・瀬戸」のみとなってしまいました。

(左)瑞風
(右)四季島
瑞風(左)と四季島(出典:写真AC マサユキさん、まこりげさん)

その一方で「周遊型臨時寝台列車」と呼ばれる、寝台列車の旅と観光を複合させた新たなコンセプトの列車も誕生しています。

JR九州の「ななつ星in九州」やJR西日本の「TWILIGHT EXPRESS瑞風(みずかぜ)」、JR東日本の「TRAIN SUITE四季島(しきしま)」が運用されています。

「ななつ星in九州」がホームに入ってきている様子。
ななつ星(出典:写真AC ヒゴ清正さん)

これらの列車は単なる移動手段としての列車ではなく、豪華な内装を備え、一流シェフが監修した料理を提供するなど、数日の旅行のパッケージの柱となる位置づけになっています。

料金も破格ですが、大変な人気を博しています。

また「カシオペア」として利用されたE26系車両もイベント列車として引き続き利用されています。

サンライズ出雲の魅力と旅の準備

「出雲」の様子。古いブラウンの車体が歴史を感じさせる。
「サンライズ出雲」の前身寝台特急「出雲」(出典:写真AC u***********************pさん)

「サンライズ出雲」は上記の表にある「出雲」の後継ということになりますが、「出雲」が京都駅から福知山線・山陰本線を経由していたのに対し、岡山駅から伯備線を経由して山陰方面に出るようになっています。

「サンライズ出雲」は岡山駅まで高松行きの「サンライズ瀬戸」と連結して走り、岡山駅で両者は分離してそれぞれの目的地を目指します。

「サンライズ出雲」の下り列車の停車駅と発車時刻は以下の通りになります。

東京22:00→横浜22:24→熱海23:23→富士23:54→静岡0:20→浜松1:12→姫路5:26→岡山6:34→倉敷6:47→備中高梁(たかはし)7:14→新見7:44→米子9:05→安来(やすぎ)9:14→松江9:31→宍道9:46→出雲市9:58

まあ深夜ですから当然と言えば当然ですが、豪快に名古屋、京都、大阪の主要駅を通過していきます。

ただし名古屋、大阪などでは、客の乗降ができない運転停車といわれるものがされています。駅には停まるのですが、扉が開かないということです。これは時間調整や乗務員の交代などのために行われるものです。

総走行距離は950キロ強で、約12時間の旅になります。

ちなみに東京から出雲間を飛行機で移動すると約1時間30分、新幹線で岡山まで、岡山から特急「やくも」に乗る場合は約7時間かかります。

サンライズ出雲・瀬戸の編成

サンライズ出雲の編成表。東京を出発して岡山駅で解結する。
サンライズ出雲・瀬戸編成表

「サンライズ出雲・瀬戸」の編成は上記のようになっています。

先述のとおり岡山までは連結して走行し、岡山からは分離してそれぞれの目的地に向かいます。

A1・・・シングルデラックス:一人用個室寝台、普通の車両のグリーン車的なもの。

B2・・・サンライズツイン:二人用個室寝台。

B1・・・ソロ:一人用個室寝台(3号車・10号車)、シングル:一人用個室寝台(2階式)

ノビノビ・・・ノビノビ座席という足を延ばせる簡易寝台で、座席扱い。

また3号車と10号車にはミニサロンとシャワールームが設置されています。

今回はシャワールームを使用しなかったのですが、使う場合は販売機でシャワーカードを購入して使うとのことです。

サンライズ出雲の旅、いざ出発!

東京駅の電光掲示板の様子。
東京駅の電光掲示板

東京駅に列車がが入線してきました。今回は終点の出雲市駅を目指します。そこで「サンライズ出雲」10号車(B1ソロ)に乗り込みます。

東京駅に入線した「サンライズ出雲」の様子。
東京駅に入線したサンライズ出雲

この日は木曜日であったものの、満席とのアナウンスが流れます。流石は人気の列車です。金曜日ならもっと予約しづらかったことでしょう。

「サンライズ出雲」の通路。
通路

行き違いするのが難しい狭い通路を抜けて自分の部屋に向かいます。

サンライズ号のB1 ソロ室内。ハンガーとベッドだけの簡素なつくり。
サンライズ号B1ソロの室内

各部屋個室になっていますが、上段と下段に分けられており、今回は下段の方に乗車します。なかなか狭い…天井も低い…。

上記写真の右にあるハンガーで広さがおわかりいただけると思います。ただし左の写真は扉から撮ったのですが、こちらは少し広くなっています。

まあこの窮屈さが寝台特急の旅の醍醐味かもしれません

ちょうどこの10号車にはラウンジとシャワールームがあるので、そちらの様子も見てみましょう。

シャワーカード券売機の様子。
シャワーカード券売機

シャワールームはこちらでプリペイドカードを購入して利用します。

出発してしばらくしてから見に行くとすでに売り切れ。そういや乗車のときにたくさん人が並んでいたのですが、これを買うためだったのですね。

したがいましてシャワールーム内の写真はありません。悪しからず。

ミニラウンジから見たホームの様子。
ミニラウンジ

ミニサロンはこのような感じで、窓にむけたイスとテーブルが通路をはさんで左右両側に設置されています。ラウンジの奥にはジュース類の自動販売機が設置されています。

景色を見ながらお友達と会話をしたり、軽食を楽しんだりできます。実際、発車してからしばらくの時間や朝の食事時には満席でした。

ただし酒盛りをしている連中がいてちょっと騒がしかった…マナーを守って使いましょう

さて、こちらはぼちぼち寝る準備をしますか。室内灯を消すと夜の街の灯りが徐々に少なくなっていき、旅に出ている感覚を満喫できます。

そして富士駅を過ぎたあたりで記憶が途切れ…

車両番号について

サンライズ号の車両番号。「モハネ285-3001」と表示されている。
サンライズ号10号車の車両番号の銘板

サンライズ号は285系電車という形式の車両で運用されています。

この10号車の車両番号は「モハネ285-3001」。モはモーターが付いている車両、ハネは普通寝台車ということを意味しています。

カタカナの1文字目は車両の種類を、2文字目は車両のグレードを、3文字目は寝台車などの特殊な車両であることを表しています。

数字については、頭の数字(この場合は2)は電気方式を表し1~3は直流、4~6は交直両用、7~9は交流に対応することを示しています。

次の数字(この場合は8)は列車の種別を表し0~3が近郊型・通勤型車両、5~7が急行型車両(ただし現在JRでは急行列車は存在しません)、5と8が特急型車両であることを示しています。

3つ目の数字(この場合は5)は設計の順序を表し、285系でしたら28系列の5番目に設計されたことを示しています。

最後の4桁の数字は製造番号で、原則として製造された順番がふられています。さらに運用する路線や車両の仕様などによって、〇〇番台と数字をふります。

この場合の3001は3001両目に製造されたことを意味しているのではなく、3000番仕様の1番目に造られた車両ということになります。

ただしこれらはJR(旧国鉄含む)の大半に適用されるものですが、私鉄には適用されていません。

ちなみに頭のカタカナの部分については、主に以下のようなパターンがあります。

<1文字目>

ク・・・運転台が付いている車両(制御車)

サ・・・運転台もモーターもついていない車両。つまりモーターがないので音が静か。

キ・・・気動車(電気ではなく、ディーゼルエンジンで動く車両。

<2文字目>

ロ・・・グリーン車

<3文字目>

ニ・・・荷物車

など

現在は車両の種類も減ったのでだいたいこれくらいでしょうか。他にもあると思いますが、さらに知りたい方はグーグル先生に聞いてみてください。

岡山で切り離し

「サンライズ出雲」の行先案内板。
サンライズ出雲の行先案内板

話を旅のことに戻しましょう。

AM6:00起床。途中で目を覚ますこともなく熟睡できました。もうすぐ岡山駅に到着です。

目的地の出雲市駅はまだまだ先ですが、なんのために起きるかって?

岡山駅でサンライズ号は四国高松に向かう電車(瀬戸)と山陰出雲市に向かう電車(出雲)の解結-サンライズ瀬戸と出雲を分離する-を行うので、その風景を見学するためです。

岡山駅到着。すると人々が解結の現場に駆けだします。

サンライズ出雲・瀬戸の解結の様子。
サンライズ出雲・瀬戸の解結の様子

自分も撮影をしようとちんたらと歩いていったら、すでに人が密集していてあまり良い写真を撮ることができませんでした。寒いし、とっとと自分のお部屋に帰りましょう。

ということで、代わりと言ってはなんですが、以前に別の人が撮影した岡山駅での連結の様子を下に乗せておきます。要はこれの逆をやったということです。

サンライズ号連結の様子。サンライズ号は岡山駅で連結・解結を行う。
サンライズ号連結の様子

またサンライズ号は車内販売を行っていないので、比較的停車時間の長い岡山駅で買い出しをする人も多いようです。

「サンライズ瀬戸」はあと1時間程度で終点高松駅に到着しますが、「サンライズ出雲」はまだ3時間以上の長旅が待っています。皆さん朝食を買っていました。

岡山駅ホーム上の電光掲示板の様子。サンライズ瀬戸とサンライズ出雲が上下に並んでいる。
岡山駅ホーム上の電光掲示板。サンライズ瀬戸とサンライズ出雲の2つが表示されています。

先に「サンライズ瀬戸」が岡山駅を出発、「サンライズ出雲」は3分ほど遅れて出発し、倉敷駅で山陽本線に別れを告げ伯備(はくび)線に入り、山陽から山陰に向かいます。

特急「やくも」がこちらを向いて走っている様子。赤とクリーム色の車体が素朴でかっこいい。
特急「やくも」(出典:写真AC まさきMさん)

伯備線は瀬戸内海側の倉敷駅と日本海側の米子駅を結ぶ主要路線で、昼間は岡山駅と出雲市駅を結ぶ特急「やくも」が約1時間単位で運行されており、陰陽を結ぶパイプとなっています。

この路線は中国山地の山塊の間を抜けていくためカーブが多く、また複線化できない狭いところは単線となり、なかなかスピードは出ませんがその分景色を楽しめます。

備中高梁駅の様子。
備中高梁駅

途中の停車駅備中高梁(びっちゅうたかはし)駅。備中松山城や山田方谷(ほうこく)の史跡を巡りたいところですが、もちろんそんな時間はありません。

後ろ髪を引かれる余裕もないほど短い停車時間で、山陰に向けて出発です。
(山田方谷についてはこちら:小さな藩の偉大な聖人~山田方谷もどうぞ)

日本海を望む旅路

岡山駅を出て約2時間30分。サンライズ出雲は鳥取県西部の要衝米子駅に到着します。米子からは進行方向右手に日本海が見えてきます。

そして島根県に入り“安来節”でお馴染みの安来(やすぎ)駅を過ぎると、島根県の県庁所在地松江駅に到着。すると今度は右手に宍道(しんじ)湖が見えてきます。

サンライズ出雲の車窓から見える宍道湖。曇っているが湖の向こうには島が見える。
サンライズ出雲の車窓から見える宍道湖

宍道湖は海水と淡水が混じった汽水湖で、面積は日本で7番目の大きさを誇る湖です。

宍道湖の名物と言えばしじみですね。どこかで食べよう!

終点・出雲市駅への到着

サンライズ出雲の終点出雲市駅の素朴な様子。
終点出雲市駅

9:58終点出雲市駅に到着です。約12時間の長旅でした。まだ揺れている感覚が残っていますが、これも寝台列車の醍醐味ですよね

20年以上運行している割には室内もきれいでしたし、外観もくたびれていません。

出雲市駅ホーム上にある「瑞風」の停止位置表示板の様子。
出雲市駅ホーム上にある「瑞風」の停止位置表示板

ということで基本的には大満足の12時間でしたが、1つだけ不満があります。それはWifiが使えないこと!これは是非とも改善していただきたいですね。

島根を観光しよう

せっかくここまで来たのですから、観光しなければ。出雲市といえば出雲大社ですね。

私鉄の一畑電車(いちばたでんしゃ)、通称「ばたでん」に乗って出雲大社を目指します。

電鉄出雲市駅の駅名案内板の様子。
電鉄出雲市駅

JRの改札を出て電鉄出雲市駅に徒歩で向かいます。隣接しているのですぐわかります。

切符を購入してホームで始発電車を待っていると、いよいよ電車が入線してきます。

一畑電車2100系のオレンジの車体。
一畑電車2100系

あれ?どっかで見たことがあるような…それもそのはずです。

一畑電車2001系車内の銘板。
一畑電車2100系車内の銘板

京王線で走っていた車両だったのですね。元京王電鉄5000系です。

このように首都圏などで活躍していた車両が第二の職場として地方の私鉄を走っている例はたくさんあります。そんなかつてのエースたちを見つけるのも鉄道の旅の楽しみの一つです。

電鉄出雲市駅を出て川跡(かわと)駅で出雲大社方面への電車に乗り換えます。

(左)川跡駅にて並ぶ一畑電車7000系
(右)2001系
川跡駅にて並ぶ一畑電車7000系(左)と2100系

次に乗る7000系は2016年に一畑電車に導入された最新鋭車両です。

車内には島根県の観光キャラクター「しまねっこ」がかわいらしく鎮座しています。

島根県の観光キャラクターしまねっこの様子。
しまねっこ

数駅乗ると電鉄出雲大社前駅に到着です。

由緒ある「国宝出雲大社」

電鉄出雲大社駅の様子。建物は古く、学校のような印象を受ける。
電鉄出雲大社駅

駅を出て右手に進むと出雲大社の門前が見えてきます。

出雲大社の歴史は、古く日本神話などにその伝承が語られています。戦前には唯一「大社」を名乗った由緒ある神社です。

出雲大社の堂々とした様子。
出雲大社

平日だったので観光客は少なめでしたが、女性同士やグループで来ている方が多かった気がします。やはり縁結びの神様というからでしょうか。

なぜ出雲大社は縁結びの神様といわれるのか?

出雲大社の祭神、大国主大神の像。空に向かって両手を広げている様子。
右側にいらっしゃるのが大国主大神

出雲大社の祭神である大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)が目に見えない世界(つまり人の縁や運命)を治めることになったから、といわれています。

大国主大神はイケメンで大変女性にモテたから、なんて説もあるようです。

大国主大神は男女の恋愛に限らず、様々な人と人とのご縁を結んでくれる神様だそうです。

境内に入っていきましょう。

銅鳥居の先に拝殿と本殿が見える。
銅鳥居

参道を進んでいくと拝殿が見えてきます。

拝殿のどっしりとした様子。
拝殿

拝殿の奥には御本殿がありますが、特別な日などを除き立ち入りはできません。

八足門の様子。とても賑わっている。
八足門

ということで本殿の八足門(やつあしもん)で参拝します。出雲大社の参拝の作法は特殊で、二拝四拍手一拝(二回お辞儀をして、四回手を叩いて、一回お辞儀をする)ということになっています。

他の多くの神社では、二拝二拍手一拝というのが作法になっています。

出雲大社が四拍手である理由は、「四季を表して、実りと繁栄を祈願しているから」「東西南北を守護する神々に敬意を表すため」などという説があります。どちらにしても自然への畏怖・敬意が感じられます。

ちなみになぜ拍手をするのかと言えば、よく神様を呼ぶためと解釈している方がいるようですが、正しくは自分が素手で何の下心もないことを神様に示すためだそうです。

中には入ることのできない本殿を外から撮影してみました。

左)(右)出雲大社本殿の様子。
本殿

本殿以外の建物も見てみましょう。

(左)彰古館
(中)素鵞社
(右)文庫
左から彰古(しょうこ)館、素鵞社(そがのやしろ)、文庫

ちなみに説明のボードには外国人観光客向けに、スマートホンなどからQRコードを読み込ませれば、多言語音声で説明をしてくれるものもありました。

建物の説明ボードの様子。

本殿の左手にある神楽(かぐら)殿は、出雲大社の宮司(ぐうじ)である千家の大広間で、結婚式などの式典に利用されることもあるようです。

(左)(右)神楽殿の様子。
神楽殿

それにしてもこのしめ縄、でかい!

長さ13メートル、重さは5.2トンにもなるそうです。どうやって作って、どうやって飾るのでしょうか?

そういえば境内のここかしこにかわいらしいうさぎの像を見かけます。これは一体?

因幡の白兎との関係

可愛らしい因幡の白兎像。

『因幡(いなば)の白兎(素兎とも)』という話をご存知でしょうか?『古事記』に出てくる日本神話の有名な話の一つです。

あらすじは省略しますが、ひどい目にあっていた兎を助けたオオナムチこそが後の出雲大社の祭神大国主大神なのです

この兎がオオナムチの明るい未来を予言したことから、出雲大社にこうして祀られているのでしょう。ちなみに境内には46羽の兎の像があるそうです。参拝がてら探してみてください。

では駅に戻りましょうか。

境内から駅の方を見渡すと大きな白い鳥居が見えます。まだ時間もありますし、ちょっと行ってみましょう。

鳥居の向こうに出雲大社の大鳥居が見える。
赤丸のついている鳥居

駅を通り過ぎて数百メートル行ったところに巨大な鳥居がありました。

出雲大社大鳥居の堂々とした様子。

そこには高さ約23メートルの大鳥居。これは大正時代に造られたものです。今度こそ駅に戻りましょう。

おや、駅に面白そうなものがありますね。

オレンジの車体をしたデハニ52形の様子。
一畑電車デハニ52形

これは一畑電車でかつて活躍していたデハニ52形電車。昭和初期に導入された電車で2009年まで営業運転をしていたそうで、現在はこの駅で余生を送っています。

気軽に中に入ることもできます。

デハ二52形の美しい車内の様子。
デハニ52形の車内

では、次なる目的地に向かいます。

国宝に指定された「国宝松江城」

引き続き「ばたでん」を使って松江方面に向かいます。「ばたでん」は宍道湖の北側を走り松江へとつながっています。宍道湖の対岸には、さきほどまで「サンライズ出雲」が走っていたJR山陰本線があります。

行きと同様川跡で乗り換え、今度は松江しんじ湖温泉駅行きに乗ります。

川跡駅に三つ車体が並んでいる。
川跡駅にて

それにしても、読めない駅名が多い!

例えば、「美談」(みだみ)「旅伏」(たぶし)。出雲大社に関係ありそうですね。

そして出雲大社から約1時間で終点の松江しんじ湖温泉駅に到着。

松江しんじ湖温泉駅のモダンな外観。
松江しんじ湖温泉駅

ここからバスに乗って5分ほど、「国宝松江城県庁前」で下車します。

早速登城しましょう。

松江城の緑多く青々とした様子。

大手門から正面突破を図りますが、その手前に人物像が立っています。

松江城の築城者の堀尾吉晴(ほりおよしはる)です。

堀尾吉晴とは?

堀尾吉晴像の様子。
堀尾吉晴

堀尾吉晴とは、豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っている頃から仕えていた古参の家臣(正確には与力)です。稲葉山城(後の岐阜城)攻略では秀吉軍の道案内を務めて功を挙げたとされており、秀吉の立身出世に伴い吉晴も大名になりました。

関ヶ原の戦いで徳川方についた吉晴(正確には吉晴の嫡子忠氏)は、その功により出雲に24万石を与えられ松江に築城しました。

馬溜跡の広々とした様子。
馬溜跡

大手門跡をくぐると正面に広々とした馬溜(うまだまり)跡があり、右に向かうと三之門が見えてきます。そして二之門、一之門と階段を登りながら進むと、いよいよ天守が見えてきました。

ちなみに天守への入場は有料です。

松江城天守の外観。素朴な印象。
松江城天守

では天守の中に入ってみましょう。

土足は厳禁です。まあ入り口には係員の方がいらっしゃいますのですぐわかります。

松江城天守を仰ぐ。

城内に入ると、かつて屋根の上にそびえていた木彫り銅貼りの鯱(しゃち)が展示されています。これは木造の鯱としては日本最大のものだそうです。

松江城天守にそびえている木造の鯱。木造のものとしては日本最大。
松江城天守にそびえていた木造の鯱

現在、天守の屋根にそびえているものは昭和30年の城の改修時に取り換えられたものです。

ではさらに上がっていきましょう。

松江城の階段の様子。

お城名物の「急な階段」です。これくらい急な階段はお城では当たり前。

場所によっては滑り止めがついていますが、ほとんどの場所にはついていません。また城内は暗いのでくれぐれもご用心ください

鉄砲狭間の様子。
四角い穴が鉄砲狭間です。

ここから鉄砲を撃つ鉄砲狭間や敵兵が城によじ登ってくるのを邪魔する石落としなど、戦う城としての設備がありますね。

後藤又兵衛の鎧兜の様子。黒くて格好いい。
後藤又兵衛の鎧兜

城内には、大河ドラマ『真田丸』で有名になった後藤又兵衛(ごとうまたべえ)の鎧兜が展示されています。又兵衛と松江や堀尾家ってなんか関係あったかな?

どうやら又兵衛の縁戚の人間が松江藩士に献上したということが左下の説明書に書いてありました。

堀尾家の後にこの城に入った松平直政(まつだいらなおまさ)の像や松江城の築城を見分する堀尾親子の絵なども展示されています。

堀尾吉晴・忠氏の絵。
堀尾吉晴・忠氏親子の城地選定の図

いよいよ天守閣に到着です。天守閣の中央に国宝指定の証明書があります。

国宝指定書の様子。

松江市民の願い

ちなみに松江城は戦前に国宝指定されていたのですが、その後法律が変わったことにより重要文化財に「格下げ」されてしまいました。

松江市では再び松江城を国宝にするべく、戦前に存在していたのに行方が不明になっている柱に張り付けられた2枚の「祈祷札」の発見に血眼になります。なんと500万円もの懸賞金がかけられたそうです。

松江城の様子。

なぜならこれらのお札には築城の時期が明示されていたからです。これが見つかれば国宝指定の要件を満たすことができるのです。

そうした思いが届き「祈祷札」が2012年に発見され、2015年に再び国宝に指定されました。

さて、天守からの眺めはこんな感じです。

松江城天守からの眺め。街が一望できる。

松江の街並みと宍道湖が眼前に広がります。天守は戦時の防御構造物であり、平時は見張り台のような役割もあり、さらには領主の権威を示すものでもありました。

松江城の悲しい伝説

松江では盆踊りをしないそうです。それにはこんな悲しい話があるからなのです。

築城を進めていた堀尾吉晴ですが、工事が思うように進まず頭を抱えていました。

するとある家臣が、神がお怒りだから工事が進まない、その怒りを鎮めるために人柱-つまりはいけにえ-をたてればよいのでは、と献策します。

盆踊りの様子。
出典:写真AC acworksさん

そして家臣たちは盆踊りに集まっていた大衆の中から踊りの上手な美しい娘をさらって天守台の下に生き埋めにしてしまいました

工事は無事完了したのですがそれからというもの、民衆が盆踊りをすると天守が揺れるという怪奇現象が起きるようになります。

これが犠牲になった娘の祟りなのではないかと噂され、それ以降松江の人たちは盆踊りをしなくなった、という話です。

アイルランド人ラフカディオ・ハーンのモノクロ写真。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)

この話はラフカディオ・ハーン(小泉八雲、こいずみやくも)がこの伝説を当地出身の妻から聞き、文字に残したことから有名になりました。

今となっては事実かどうかわかりませんが、民間にこのような伝承がされているということは、やはり何かあったのだろうと考えてしまいます。

実は藩主たちにも次々と不幸が襲っています。それらはこの娘に呪い殺されたのでは、とまことしやかに噂されていました。

松江城は呪われた城?

堀尾忠晴の肖像画。
堀尾忠晴

堀尾家は忠氏(ただうじ)が早逝していたため、忠氏の嫡子忠晴(ただはる)が後を継ぎ吉晴が後見していました。

しかし吉晴は松江城完成直後に急死、その後忠晴は後継者を残さぬまま世を去ったためお家は取り潰しになってしまいました。

次いで藩主となったのは京極忠高(きょうごくただたか)が他所からやってきましたが、3年後に急死してこちらもお家は取り潰しになってしまいます。

松平直政の肖像画。
松平直政

その次に藩主となったのは松平直政(なおまさ)でした。直政の父は徳川家康の次男結城秀康、つまり家康の孫にあたり、大坂の陣ではその勇敢さを祖父家康だけではなく敵将真田信繁からも褒め称えられたといわれるほどで、父譲りの度胸の据わった人物でした。

(松平直政の父結城秀康についてはこちら:天下を継げなかった男~「将軍の兄」結城秀康もどうぞ)

直政が入城すると、夜になると天守に娘のすすり泣く声が聞こえるようになり直政を悩ませます。剛毅な直政はある晩、泣き声の主である亡霊に「お前は何者だ」と叫ぶと、亡霊は「この城の主です」と答えました。

コノシロという魚。黄金色で美しい。
コノシロ(出典:写真AC メバルンさん)

そこではたとひらめいた直政は「この城」に掛けて、宍道湖で獲れた魚の「このしろ」をお供えすると、それ以降泣き声はぴたりと止んだそうです

なんか、怖い話だったのにしょーもない駄洒落オチで終わるのかよと拍子抜け感が半端ありませんが…

ちなみにこの直政、古典落語の名作『目黒のさんま』のモデルともいわれています。

きっと武勇一点張りではなく、ウィットに富んだお殿様だったのでしょう。

せっかく小泉八雲の話も出ましたから、松江城の側にある「小泉八雲記念館」に行ってみましょう。

「小泉八雲記念館」での半生の振り返り

小泉八雲記念館と旧居の趣ある様子。
小泉八雲記念館と旧居

アイルランド人のラフカディオ・ハーンは世界各国を渡り歩く間に日本の文化に強く惹かれ、1890年に来日し松江に居を構えこの地で小泉セツと結婚します。

その後、神戸や東京に転居し日本に帰化、和名を小泉八雲とします。この「八雲」というのは松江の別称であり、また出雲国を象徴する言葉でもあることから、この土地に対する愛情が感じられます。

八雲は日本での英語教育に尽力する一方で、欧米に日本文化を紹介する著書を多数残し日本の内外に大きな影響を与えました。

ぼちぼち腹減ったな。何か食べよう。

イカの丼とシジミ汁の美味しそうな様子。
シマメ丼とシジミ汁

表のメニューに惹かれて記念館の並びにあるお店に入りました。そこでいただいたのは、「シマメ丼」としじみ汁のセットをいただきました。

この「シマメ丼」は生のシマメ(スルメイカ)を細かく切って肝醤油に付け込んだものをご飯にのっけた丼です。隠岐(おき)島の名物だそうです。

そろそろ鳥取に向かわなくては。バスで松江駅に向かいます。

今回は旅行会社のパックでチケットを手配したので、宿が鳥取に固定なのです。一見そんな遠くないように思うのですが…

鳥取への旅

オレンジ色をしたスーパーおきの車体の様子。
松江駅に入線する特急スーパーおき

松江から鳥取へは、気動車特急「スーパーおき」に乗車します。なんか顔は普通列車みたいですが、おとなしそうな顔して実は結構力強いことが後程判明します。

この「スーパーおき」は鳥取から新山口を結ぶ長距離列車です。山陰本線は伯耆大山(ほうきだいせん)駅から西出雲駅の間以外は非電化区間のため気動車での運用となっています。気動車に乗るのは久しぶりなのでちょっと楽しみです。

松江から鳥取まではおよそ1時間50分。結構遠いな…

車内は比較的空いてますが、米子駅で多数の乗客がありほぼ満員状態。

そしてなによりもこの特急、飛ばすんです。

スーパーおきの速度計。117キロと表示されている。

けたたましいエンジン音を響かせながら、時速120キロ近い速度でまさに爆走。正直眠気が覚めました。やかましいなあ、これもまた心地よし。

終点鳥取駅に到着したスーパーおきの様子。
終点鳥取駅に到着したスーパーおき。

鳥取駅に着いた頃には18時を回り、外は真っ暗。おまけに雨まで降ってきました。

今晩泊まる駅前のホテルには大浴場がないので近くの銭湯でひと風呂浴びて、近所で一杯ひっかけてさっさと寝ましょう。

日々景色が変わる「鳥取砂丘」

JR鳥取駅の外観。
JR鳥取駅

おはようございます。雨は止みましたが、雲の多いお天気。まあ山陰の冬ですから仕方がありません。

今日はこれからバスに乗って鳥取砂丘へと向かいます。自分以外にも10名以上乗り込みましたが、ほとんどが中国からのお客さんでした。

途中鳥取城の跡がありましたが、残念ながら見学している時間はありません。

バスに揺られること約30分。目的地の鳥取砂丘に到着。

自販機の前に鳥取大砂丘の立て看板が建っている。

では実際に砂丘の方に行ってみましょう。

奥に鳥取砂丘階段がある。

ビジターセンターの横にあるデッキを上がって、そこから広がる風景は…

おお、これは凄い!ほんとに砂で丘ができている。(当たり前ですが)

鳥取大砂丘の広大な様子。

丘の頂上を目指して徒歩開始。

砂を踏みしめながら丘を登っていきますが、これがなかなか大変。日ごろの運動不足が露呈します。息を切らしながら、どうにか頂上に到達。

鳥取大砂丘、海側の景色。

海の方に目をやれば白波を立てる冬の日本海が広がります。この日は風もほとんどなく、海も比較的穏やかだったようです。

鳥取砂丘陸側の様子。

陸の方に目をやれば広大な砂浜が広がります。ふと地面を見ると、

鳥取砂丘風の跡。

風で表面が削られているのがわかります。鳥取砂丘は来るたびに景色が変わるといわれています。日本海に吹く強風がそうしているのですね。

次来るときはどんな景色を見せてくれるのでしょうか?

鳥取砂丘ビジターセンターの様子。
鳥取砂丘ビジターセンター

こちらは鳥取砂丘ビジターセンター。駐車場も広く車での来場はとても便利だと思います。中ではさまざまな展示などもあるようですが、時間がないので今回はパス。

約1時間ほどの滞在で鳥取駅へと戻ります。

山陰から再び山陽へ

帰路につくのですが、もう一か所寄りたいところがあるので姫路を目指します。

と、その前に姫路駅到着は昼過ぎなので駅弁を買っておきます。

鳥取駅改札口奥にある「アベ鳥取堂」の「山陰鳥取かにめし」を購入。1,250円と少々お高いですが人気の一品なので楽しみです。

実は、昨晩の食事は焼き鳥。しかもメニューを見たら思いっきり「宮崎産」とありました(笑)。(美味かったですが)

旅先ではなるべく土地のものを食べたいのですが、結構いいお値段であることが多く結局普通のものを食べてしまいます。

せっかく知人から鳥取行くなら松葉蟹!と薦められていたので、せめて駅弁で味わいましょう。

鳥取駅に入線してくるスーパーはくと。ブルーの車体が格好いい。
鳥取駅に入線してくるスーパーはくと

列車が駅に入線してきました。これから乗るのは「スーパーはくと」。この列車も気動車です。この列車は智頭(ちず)急行智頭線という第三セクターの路線を経由します。

この車両もHOT7000系気動車という智頭急行の車両を使用しています。伯備線同様こちらも中国山地を抜けていきますが、この列車も結構スピード出します。

しかし車内設備は比較的ゆったりしているので快適に過ごせます。Wifiも対応しています。ただし相変わらずエンジン音はうるさいですが…

ではお楽しみの駅弁を食べます。

山陰鳥取かにめしの様子。全国的に人気がある駅弁の一つ。

パッケージを開くと、カニの形のかわいらしいお弁当箱が出てきました。蓋を開くと…

山陰鳥取かにめしの中身。かにがふんだんに使われていて美味しそう。

ご飯の上にほぐしたカニの身がぎっしりと敷き詰められています。これは美味い!ちなみに上部に見えるカニの爪にもしっかり身が入っていました。

などと舌鼓を打っているうちに、約1時間30分で姫路駅に到着しました。

国宝・世界遺産姫路城

JR姫路駅のモダンな建物の様子。
JR姫路駅

今回の旅、最後の目的地は姫路城です。数年前の大改修直後に一度訪問しているのですが、せっかく近くに来るので改めて見ておこうと思い立ち寄りました。駅の真っ直ぐ先に天守が見えます。

上の写真の駅の2階デッキ部からこのようにお城が見えます。

姫路駅デッキから見る姫路城の様子。白く美しい。
拡大してます。実際はもっと小さく見えます。

では徒歩で姫路城に向かいます。

途中工事の柵の横にはゆるキャラたちが描かれています。

姫路城のゆるキャラたち。

この日は土曜日ということもあり結構多くの人で賑わっていました。姫路も中国からの観光客が多いですね。

姫路城大手門の様子。

門をくぐると左手に天守がくっきりと見えてきます。

三の丸広場前から見た姫路城天守の立派な様子。

ということでここからは姫路城写真集でしばしお楽しみください。美しい城はどこから見ても美しいのです。

姫路城の外観。
姫路城西の丸の様子。
姫路城天守の壮麗な外観。
姫路城の外堀の様子。
姫路城石垣と天守の様子。

今回はあまり時間がなかったため登城は断念。やはり姫路城の美しさは日本一です。

また遊びに来たいですね。楽しいお城巡りもそこそこに現実の世界に帰ろうと思います。

帰りは姫路から「のぞみ」に乗りますが、写真を撮り忘れました…かわりに1本前に姫路駅に到着した九州新幹線「さくら」の車両を載せておきます。

九州新幹線さくらの格好いい様子。
九州新幹線「さくら」

新幹線なら姫路・東京間は約3時間。あっという間です。

新幹線は速くて便利ですが、時間はかかってもサンライズに乗っていると旅をしているんだなあ、と実感できました。冒頭に書いた通り現在、定期寝台列車はこのサンライズ出雲・瀬戸のみですが、夜行列車を見直す機運が高まっています

それはJR西日本が公表した「WEST EXPRESS 銀河」です。

117系電車が「WEST EXPRESS 銀河」の黄色と小豆色の車体。
「WEST EXPRESS 銀河」のベース車両117系電車(出典:写真A Cレイ5100さん)

この列車は117系という古い車両をベースに内外装を一新し、時期によって昼間・夜間運用や行先を切り分けて行うそうです。

サンライズ出雲で贅沢な寝台列車の旅を楽しもう

サンライズ出雲」での寝台列車の旅は、まさに夢のような経験です。山陰地方の壮大な自然美や歴史的な名所を巡りながら、贅沢な寝台で快適に過ごす時間は、心に深い感動を残します。

出雲大社の神秘的な雰囲気や松江城の壮大な姿、そして地元の温かな人々と触れ合いながら、まさに日本の魅力に浸ることができるでしょう。

サンライズ出雲は、定期運行の寝台列車としては貴重な存在です。ぜひ、この贅沢な旅に身を委ね、心に残る思い出をつくりましょう。

記事内に登場した『ラフカディオ・ハーン』(小泉八雲)についてはこちらの記事もおすすめです。

執筆:Ju

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