ヨーロッパにおける第二次世界大戦の背景
ドイツは第一次世界大戦の敗北により、海外にあるすべての植民地と本国の多くの領土を失った挙句、莫大な賠償金まで課せられ、ついにはパン一個を買うのに札束の山が必要になるほど極端なハイパーインフレーション(お金の価値が急激に下がる状態)に陥っており、このとき1兆マルク札というとんでもない額面の紙幣まで発行されていた。
そんなドイツに対し、弱り目に祟り目とばかりに襲いかかるアメリカ発の世界大恐慌。ドイツ経済は混乱状態に陥り、500万人もの失業者が発生して社会不安が増大した。
この恐慌に対してアメリカではニューディール政策、イギリス・フランスではブロック経済という対策をそれぞれ行う。
ニューディール政策とは、1929年に始まった世界大恐慌に対処するために第32代アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトが1933年以降に実施した政策の総称である。
政策の内容としては、失業救済のための大規模な公共事業や農業支援、産業界への統制によって経済復興を図ったこと、後には社会保障制度や労働者保護の制度改革の実施が挙げられる。
それまでのアメリカ歴代政権が実施した政策は、政府は市場には介入せず、経済政策も最低限なものにとどめるという古典的な自由主義的経済政策だった。しかし、ニューディール政策が導入されたことにより、政府が市場経済に積極的に関与する社会民主主義的な政策へと転換した。
その後、第二次世界大戦に参戦したことにより軍需歳出が史上最大の増大率となり、アメリカの経済と雇用は恐慌から完全に立ち直り著しく拡大した。
一方、ブロック経済とは、自国と自国の植民地を1つのブロックとして世界経済から隔離して独自の経済圏を形成し、ブロック外の国からの輸入品には高い関税をかけて輸入を阻止し、自国の製品は植民地間で低い関税で輸出することで、ブロック内の経済交流を盛んにして恐慌を乗り切ろうとした極めて閉鎖的な経済体制のこと。それぞれのブロックは通貨圏ごとに分かれており、植民地を多く抱えた国ほど有利な経済体制であった。
しかし、これらの政策はいずれも植民地や領土をたくさん持っていればこそ有効なのであり、持たざる国にとっては輸出品に高い税金(関税)を掛けられるので貿易収支はさらに悪化の一途をたどるのみであった。
そして持たざる国の代表がドイツとイタリアであり、これらの国では情勢を挽回するべく国民は強いリーダーシップを持った人物を待ち望むことになる。
勢力を拡げだすファシズムとナチズム 第二次世界大戦開戦へ
第一次世界大戦の敗北、世界大恐慌に苦しむドイツ、イタリアで強いリーダーに救いを求めるなか、そこに現れたのがアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)とべニート・ムッソリーニ(Benito Amilcare Andrea Mussolini)であった。
アドルフ・ヒトラー
(1889年4月20日〜1945年4月30日)
出典:Bundesarchiv, Bild 183-H1216-0500-002 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons
べニート・ムッソリーニ
(1883年7月29日〜1945年4月28日)
出典:Public domain, via Wikimedia Commons
ドイツ・イタリア両国の国民は絶望感と被害者意識を募らせ、ファシズム、ナチズムの運動が勢力を得る下地が醸成されていたのだ。
1937年、まずドイツが動き出す。
ヒトラーは東方に拡大政策をとることを宣言。翌年にはオーストリアを併合。
次にドイツはチェコスロバキアのズデーテン地方の割譲を要求。
チェコスロバキアはこの要求を一度は拒絶するが、イタリアのムッソリーニ首相が仲介に入り、イギリスのチェンバレン、フランスのダラディエ、イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラーが集まり4カ国首脳会議(ミュンヘン会議)が開催され、当事者であるチェコスロバキア不在のままズデーテン地方のドイツへの割譲が決定される。
この決定はドイツによる領土要求はこれが最後であるということで妥協し譲歩を行ったが、ドイツの要求はこれにとどまらずチェコスロバキアを解体。
そして次にドイツが狙いを付けたのポーランドであった。
ドイツは第一次世界大戦敗戦時にバルト海への出口となるポーランド回廊という地域をポーランドに割譲されており、その回復を要求したことでドイツとポーランドとの間で戦争への緊張が一気に高まる。
ミュンヘン会議でのイギリス、フランスの弱腰な対応に強気に出たドイツに対し、チェコスロバキアの二の舞は避けたかったイギリス、フランスはポーランドに安全保障条約を約束しドイツとの戦いの準備を始める。
このイギリス、フランスの動きに対しドイツはソ連のと間で独ソ不可侵条約を結ぶことに成功。
ついにポーランドへの侵攻を開始する。
そして、イギリス、フランスはポーランドとの約束通り、ドイツに宣戦布告。
ここに第二次世界大戦が開戦した。
戦時中にも拘らず、3にんもの心ある偉大な人物が現れて、尊い命を救えたのに、
なぜ現在のウクライナの人々を、救えないのかもどかしいです
ニコラス、ウイントンの「未来は子供たちしか変えられない」という言葉は重いです
大変興味深く読ませて頂きました。時代が変わった今でも当時のような状況はあります。只々残念と同時に人間の愚かさを強く感じます。だからこそシンドラさん、杉原さんが取り上げらると思います。