中学校の教科書にも採用され、だれもが知っている名曲「荒城の月」。
音高生や音大生も、日本歌曲の試験で取り上げることがありますね。
作曲者は誰だったでしょうか?
A:滝廉太郎 B:山田耕筰 C:土井晩翠
正解は「A:滝廉太郎」です。
B:山田耕筰は編曲者、C:土井晩翠は作詞者です。
Bと間違えた方も多いのではないでしょうか。
何故か? その理由に迫りましょう。
Contents
はじめに ~「荒城の月」のメロディと歌詞をおさらいしよう~
出典:Youtube:大分県日出町公式チャンネル
「荒城の月」歌詞 (作詞:土井晩翠)
- 春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして
千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいずこ - 秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
植うるつるぎに照りそいし むかしの光いまいずこ - いま荒城のよわの月 替わらぬ光たがためぞ
垣に残るはただかつら 松に歌うはただあらし - 天上影は替わらねど 栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなお 嗚呼荒城のよわの月
そもそも滝廉太郎ってどんな人?
・生誕:1879年8月24日(東京都)
・死没:1903年6月29日(大分県)
・15歳で東京音楽学校(現:東京藝術大学)に入学。
・作曲やピアノを学ぶ。
・1901年4月、ドイツへ留学する。
・同年11月に肺結核になる。
・1902年7月に帰国。闘病生活を送るも、翌年に死去。
滝廉太郎は明治時代に活躍した、日本を代表する音楽家・作曲家の一人です。
「荒野の月」と並んで「箱根八里」「花(組曲『四季』の第1曲)」なども人気の高い曲です。「お正月」、「鳩ぽっぽ」、「雪やこんこん」などの有名な童謡も滝廉太郎の代表作です。
1900年には日本人作曲家による初めてのピアノ独奏曲「メヌエット」を作曲しています。
♪滝廉太郎「メヌエット」 (MIDIは筆者作)
日本初でこのクオリティの高さ、滝廉太郎の才能を感じますね…!
滝廉太郎は明治12年(1879年)8月24日、東京にて滝家の長男として生まれました。滝家はもともとは豊後国日出藩(現在の九州大分県)で代々家老を勤めていた武士の家系でした。
小学校を卒業する頃には既にピアノを演奏していたといわれています。15歳で東京音楽学校(現在の東京藝術大学)に入学します。大学卒業後は、研究科に進み、その後作曲とピアノ演奏の才能をさらに開花させていきます。
明治34年(1901年)ドイツのベルリンに留学します。現地でピアノや対位法などを学びますが、肺結核を発病してしまい、帰国を余儀なくされます。
日本に帰国後は父の故郷である大分県で療養していました。しかし症状が改善せず、1903年(明治36年)23歳(享年25)という若さでこの世を去りました。
滝廉太郎の作曲作品は現在確認されているのは全部で34曲です。晩年結核に冒されていたため、死後多くの作曲作品が焼却されてしまったともいわれています。そのため実際の作曲数は実はもっと多かったのではないかと考えられています。
「荒城の月」の楽譜を見比べてみよう
滝廉太郎が書いた原曲「荒城の月」の歌いだしがこちら。
そして山田耕筰が編曲した歌い出しがこちら。
こちらの方が耳馴染みがあるかもしれませんね。
原曲より編曲版の方が馴染みがある。
これが、作曲者がわからなくなる理由のひとつとなるでしょう。
ちなみに、どこがアレンジされているか詳しく見ていくと…
- 調がh-moll(ロ短調)からd-moll(ニ短調)に移調している。
- テンポがAndanteからLentoになった(テンポが遅くなっている)
- ピアノ伴奏がある。
- 音符が8分音符から4分音符にのびた。
- 臨時記号(シャープ・♯)が無くなった。(音自体が変わった)
冒頭の1フレーズだけで、こんなに見つかりました。
特に⑤のシャープの有無は、曲の印象をガラリと変えています。
山田耕筰は、なぜこのような編曲をしたのでしょうか。
次はその理由に迫ります。
※画像(楽譜、楽譜への記入)、MIDI音源は筆者作。
滝と山田、「荒城の月」に向けたそれぞれの意図
滝廉太郎 編~本場の高レベルな音楽への憧れ~
滝は「荒城の月」と同じ年に「花」の作曲もしており、その初版の楽譜に、次の言葉を残しています。
近来音楽は、著しき進歩、発達をなし、歌曲の作世に顕れたるもの少なしとせず。
然れども、是等多くは通常音楽の普及伝播を旨とせる学校唱歌にして、之より程度の高きものは極めて少なし余は敢て其欠を補ふの任に当るに足らずと雖も、常に此事を遺憾とするが故に、これ迄研究せし結果、即我歌詞に基きて作曲したるものゝ内二三を公にし、以て此道に資する所あらんとす
「当時は、教育用の易しい曲ばかりで質の高い曲が少なかった。
微力ながら、日本語歌詞の曲を作曲・発表することで、発展に貢献したい」
という意味になります。
滝廉太郎はこの「荒城の月」を、「中学唱歌(※)」への応募作品として作曲しました。
日本で音楽の教育が始まったばかりの時代に、全身全霊で作曲した、滝の熱意と技術の素晴らしさが伺えますね。
「中学唱歌」への応募は、またとないチャンスだったのではないでしょうか。
(※)「中学唱歌」は、東京音楽学校によって明治34年(1901年)に出版された、中学校で教科書と併せて使うことを目的とした歌集。
収録曲は懸賞金をつけて公募した。
山田耕筰 編~海外の聴衆の心を掴むには~
山田耕筰はソプラノ歌手・三浦環に頼まれて「荒城の月」を編曲しました。
原曲から移調したのは、彼女が歌いやすい音域に合わせたためでしょう。
しかし、これだけでは残り4つのアレンジの理由が分かりません。
特に、前述の⑤「シャープの有無問題」は重大です。
ポイントは、編曲をするに至った背景にあります。
山田と三浦はアメリカ・ニューヨークでも音楽活動を始めました。
その時、現地では「日本の曲」を求められました。
滝廉太郎の「荒城の月」も、そのひとつとして紹介しますが、
そこで問題が生じました。
日本の曲に聞こえない、ということです。
外国の人の耳には、ハンガリー音階が使われた、東欧の音楽に聞こえたそうです。
西洋の音楽を本格的に学び、本場に追いつこうとした滝の技術の高さが、真新しいものを求めた外国の聴衆相手には裏目に出てしまったのです。
山田はハンガリー音階と思われる決め手となった臨時記号をなくし、より日本らしい曲調へと編曲しました。
【関連記事】
日本らしい曲調って具体的に何? と思われた方はコチラ
山田耕筰の経歴および「日本らしい曲」への思いを知りたい方はコチラ
まとめ ~あなたは滝派? 山田派?~
西洋のテクニックを取り入れ、本場に追い付こうとした滝廉太郎。
日本らしさを求められ、初心に帰った山田耕筰。
結果として、♯がなくなり、ピアノ伴奏が付いた「荒城の月」が広まっていることから、山田の編曲は成功したと言えるかもしれません。
しかし、原曲から音を変えてしまっている以上、「編曲」の域に留めてよいのかは、疑問が残ります。
山田はのちに「哀詩-《荒城の月》を主題とする変奏曲」というピアノ独奏曲を書いていますが、個人的にはどちらも「変奏」のカテゴリに分類しても良い、という気すらします。
あなたは原曲版と編曲版、どちらがお好きですか?
おまけ ~「荒城の月」の風景をたどろう~
より高度な音楽鑑賞をしたり、表情豊かに歌を歌うには、曲の作られた背景とあわせて曲自体が持つ情景をイメージできるとよいでしょう。
ここでは、「荒城の月」のモデルとなったとされるお城を3ヶ所ご紹介いたします。ぜひ「荒城の月」を聴きながら、一度現地を巡ってみてはいかがでしょうか?
【曲想のモデル】大分県竹田市 岡城
元々は、この地方の武将が源義経を迎えるため、文治元年(1185年)に建てたお城でした。
滝廉太郎は幼少期に竹田市に住んでいました。
すでに廃城となっていた岡城を見て、曲の着想を得たとされています。
【岡城】
大分県竹田市大字会々1650番地
【公式WEBサイト】
ホーム/竹田市 (city.taketa.oita.jp)
また、竹田市の和菓子屋「但馬屋老舗」では、黄身あんをあわ雪(羊羹の一種)で包んだ伝統のお菓子に「荒城の月」と名前を付けています。
もちろん、滝の曲から名前をもらっています。
【歌詞のモデル①】宮城県仙台市 青葉城
「荒城の月」の作詞者・土井晩翠が住んでいた仙台市。
仙台は伊達政宗が改めるまで「千代」という文字が使われており、これが歌詞にある「千代の松が枝」に由来しているとされています。
【青葉城】
宮城県仙台市青葉区天守台青葉城址
【公式サイト】
https://honmarukaikan.com/
【歌詞のモデル②】福島県会津若松市 鶴ヶ城
昭和21年(1946年)に開かれた音楽祭で、土井晩翠が「鶴ヶ城と青葉城をモチーフに作詞」したと明かしたことから碑が建てられました。
詩碑に記された歌詞は土井による直筆です。
【鶴ヶ城】
福岡県会津若松市追手町1-1
【公式サイト】
http://www.tsurugajo.com/turugajo/shiro-top.html
執筆:Yo-Ohtaki
♪荒城の月
原作曲家 滝廉太郎
編曲家 山田耕筰
作詞 土井晩翠
70年余の昔に小学生だった頃に音楽室で
教わった名曲ですが その頃は音楽の授業として
皆と歌ってましたが ピアノを初め各種楽器に
興味を覚えてからは ♪荒城の月の良さ 素晴らしさが
理解出来、我が奏でても酔いました
はじめまして。
原典版と編曲版があると初めて知りました。
ぜひ原典版の楽譜を入手したいと考えているのですが、
どこかで購入したり等、可能でしょうか
♪荒城の月
原作曲家 滝廉太郎
編曲家 山田耕筰
作詞 土井晩翠
70年余の昔に小学生だった頃に音楽室で
教わった名曲ですが その頃は音楽の授業として
皆と歌ってましたが ピアノを初め各種楽器に
興味を覚えてからは ♪荒城の月の良さ 素晴らしさが
理解出来、我が奏でても酔いました