東京を旅しよう!江戸から続く水の都「中央区」で橋めぐり

多言語観光情報サイト『Guidoor』掲載の東京都中央区のおすすめ観光情報をご紹介します。

東京都中央区は、その名称のとおり東京の中央部に位置し、東京湾に面しているウォーターフロントのまちで、1947年に京橋区と日本橋区が統合され、現在の中央区になりました。

江戸時代から400年以上にわたって国内の商業や物流を牽引し、情報・文化を発信し続けてきた、歴史ある商業のまちです。

「東京都中央区」いまも江戸時代の”水の都”が感じられるまち!

中央区には、大きく分けて3つのエリア──両国橋下流の隅田川右岸に広がる日本橋・京橋エリア、隅田川河口の佃島と明治以降に埋め立てられた月島エリア、そして晴海エリアがあります。

人情の厚い下町のたたずまいと近代的な高層ビル群、さらに水辺の空間が織りなす重層感あるまちの景観はまさに歴史的所産といえ、国内外から訪れる多くの人を魅了しています。

隅田川に面した憩いのウォーターフロント「隅田川テラス」

中央区では、まちの至るところで江戸時代の「水の都」の名残を見ることができます。

かつての水上輸送システムが捉えられるビューポイントが多く、東京湾一帯のまちのなかでも中央区は格別といえるかもしれません。

「水の都」をダイレクトに思い起こさせてくれるのが水上交通であり、ボート・観光船が川や運河、人工島の周りをゆったりと行き交い、現代の都市生活者にとっては慌しい日常から解放される憩いのひと時にもなっています。

そしてもう一つ、川に架けられている多くの橋も「水の都」の名残といえ、まちの歴史を呼び覚ます貴重な存在といえるのではないでしょうか。

江戸時代の浮世絵にも描かれている永代橋、商人の町の象徴ともいえる日本橋など、歴史ロマン漂う橋の探訪が都内観光でも人気です。

そうした中央区の代表的な橋についてご紹介します。

『Guidoor』東京都中央区のページはこちら

中央区の区章は、東西南北にCを描きながら、調和のとれた未来都市へと発展していく姿をデザインしています。中央区(Chuo City)に集まる人々と、新しいまちづくりから生まれる生活空間を造形化し、コバルトブルーの色は果てしなく広がる宇宙を示しているとのこと。
Cというのは中央区のCであり、中心(Center)、コミュニケーション(Communication)、快適(comfort)、ふれあい(Contact)、文化(Culture)の意味が込められています。
面積10.12平方キロメートル

東京都中央区『Guidoor』掲載のおすすめ観光スポット

東京都中央区の『Guidoor』掲載のおすすめ観光スポットページには、食に関するあらゆるものが揃うといわれる「築地場外市場」、日本を代表する伝統芸能、歌舞伎の殿堂である「歌舞伎座」、老舗や百貨店、ブランド旗艦店が軒を並べている「銀座 銀座通り」、もんじゃ焼きの商店街として知られる「月島 もんじゃストリート」などが紹介されています。

江戸時代の徳川将軍家の別邸「浜離宮恩賜(おんし)庭園」
1889(明治22)年に開場した歌舞伎座(現在の建物は2013年に完成)

隅田川河口の「永代橋(えいたいばし)」──江戸時代の水上交通の一大拠点

華やかな夏の花火大会で知られる隅田川──。

その下流に架かるうすいブルーの永代橋は、ドイツのライン川に架かる「ルーデンドルフ鉄道橋」という橋をモデルに、1926(昭和元)年に建設されました。ニュースの映像でもよく登場しています。

道路橋としては日本で初めての鉄橋ということで、ここから自動車輸送にも耐えうる近代的な橋の時代が到来することになったといえそうです。

永代橋は2007(平成19)年、国の重要文化財に指定されています。

隅田川の川口に架かる近代的な永代橋(全長184.7m)

じつはこの永代橋、初代の橋が江戸時代の前期、1698年に完成していたというたいへん歴史ある橋であったことをご存知でしょうか?

ただし、架橋地点は現在の位置から100mほど上流であったといい、時代と共に沿岸海域が埋め立てられていった東京湾の開発の歴史も同時にうかがい知ることができます。

ご承知のように、江戸時代は水運が発達していた時代であり、人・モノを載せた大きな船が絶えず川を往来していました。ですので永代橋も橋桁が高く、かなり大規模な橋でした。

江戸時代末頃に作成された浮世絵には、巨大な木造の永代橋とともに、大小さまざまな船が描かれています。

江戸時代の浮世絵師、歌川広重による「東京名所永代橋全図
東京都中央図書館より

この絵は世界的に有名な浮世絵師・歌川広重によるもので、少し高い位置から永代橋や江戸湾を一望しています。アーチ状の立派な木橋の上を、人々が途切れることなく渡っており、人の移動にも配慮された「水の都」の機能性の高さがうかがえます。

歌川広重の浮世絵は「ヒロシゲブルー」という色彩が有名であり、この澄んだ冴え冴えとした浮世絵からは、水域と融合していた隅田川河口のまちの賑わいの様子がよく捉えられてきます。

永代橋とともに「水の都」の存在を強く印象付けているのが大小無数の船であり、ご覧のように水平線にも船の白い帆がみられます。西回り・東回り航路から江戸湾に入った廻船が帆を下ろして整然と待機し、その近くを沢山の小舟が荷を積んで往来しています。

当時の水上交通は今でいう「ドア・トゥー・ドア」の輸送形態であり、衣食住のあらゆる物資が川・運河を通じて江戸の隅々にまで運ばれ、人々に届けられていったのでしょう──。

それにしても大変な賑わいですね。水運を通して人やモノ、情報・文化が津々浦々へと運ばれていった江戸時代の交通システム、そして「水の都」の一大拠点であった中央区一帯の繁栄ぶりがよく捉えられてきます。

まちの象徴「日本橋」は五街道の起点ともなった重要な橋

明治末の1911年に完成した20代目の現代の日本橋(全長49m)

ではもう一つ、永代橋よりも古い橋、現代においても全国的に知られている日本橋です。

隅田川に合流していく日本橋川に架けられた日本橋──。

初代の橋は1603年に徳川家康によって築かれ、日本橋の近隣一帯が江戸の町人文化の中心地となっていきました。

ここは陸路、五街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)の起点ともなり、江戸湾に面し、水上交通の一大拠点として発展していった永代橋一帯とは好対照といえるかもしれません。

また、あの有名な築地市場も、江戸時代から1923年(大正12)年の関東大震災までは、この橋の北詰めに置かれていました。

新鮮な江戸前の魚を扱う魚河岸(うおがし)を基点に、水路・陸路で江戸の人々に海の幸が届けられており、日本橋が江戸の食料供給の要としてあった点も注目されるところです。

歌川広重の「江戸名所」で描かれた「にほんばし江戸ばし」
東京都中央図書館より


ところで、江戸時代に12回もの架け替えの記録があるという日本橋。歌川広重の「江戸名所」という浮世絵にも描かれており、当時の雅な木橋の姿を知ることができます。

下流側の江戸橋から捉えられた日本橋は、橋の下を船が通過していくため、やはりアーチ状の優美な形態をしています。イタリアの「水の都」ヴェネツィアの橋とも似通っており、西洋と東洋の興味深い類似点がみられます。

川岸にはかなり大きな船も泊まっており、当時の江戸の町にとって水上交通がどれほど重要であったのかがよくわかります。

浮世絵には江戸の人々の様子も描かれ、手前の江戸橋の上にはお洒落な女性たちが日本橋を指さして話をしながら江戸中心部へと向かっています。海の幸を運んでいるらしい男性たちも歩いており、豊かな江戸湾という存在にも気づかされます。

レトロな街路灯がともり趣が変わる夜の日本橋

日本橋が現在の重厚感ある二重アーチ構造の石橋となったのは1911(明治44)年のことです。橋を見守るように「獅子像」が四方に建ち、橋の中央部の両端には「麒麟像」が据えられているのをご存知でしょうか?

麒麟は、昔から吉兆や繁栄を現す神獣とされ、一般には羽根はありませんが、日本橋の麒麟には翼があることで知られています。日本橋から日本中に飛び立てるように、という願いが込められているということです。

また、橋の北西詰めには国道1号の起点を示す「日本国道路元標」があり、日本橋は現代においても日本の道路網の出発地点とされています。そのすぐ真上を、日本橋川に沿って首都高速も走っています。

まさに日本橋は「水の都から陸の都への移行」を象徴する場所といえ、しばらく足を止め、一帯を眺める人の姿がよくみられます──。

1999(平成11)年、日本橋は元標とともに 国の重要文化財に指定され、いまも現役の橋として利用者が絶えません。辺りには創業から100年以上が経っているという老舗店も多く見かけ、歴史に根ざした町人のまち独特の躍動感が感じられます。

では江戸時代のあと、近代期以降に架けられた橋もすこしご紹介しましょう。

東洋随一といわれたモダンな吊橋清洲橋」

清洲橋の全景(全長22m)
永代橋の上流側に架かる近代的でモダンな清洲橋

1928(昭和3)年に隅田川に架けられたのが、こちらもうすいブルーの清洲橋です。関東大震災後の震災復興事業として建設され、永代橋の70mほど上流にあります。

「清洲」という名称は、建設当時、両岸にあった日本橋区中洲町と深川区清住町を結んでいることから名づけられました。

昭和初期を代表する橋といわれ、ドイツのケルンにあった吊橋がモデルにされたとのこと。当時は「東洋随一モダンな橋」と称されていたようです。

2007(平成19)年に国の重要文化財に指定されています。

「勝鬨橋(かちどきばし)」国内に現存する数少ない可動橋の一つ

永代橋の下流側に架かる勝鬨橋(全長246m)
イルミネーションが美しい夜の勝鬨橋

つづいては、戦前の1940(昭和15)年に完成したという、築地と佃島を結んでいる勝鬨橋で、永代橋の下流側に架かっています。

完成当時は「東洋一の可動橋」とも呼ばれ、1日5回、開閉していたそうですが、通過する船が減少してしまったことから、1970(昭和45)年11月を最後に開閉を停止しています。

2007(平成19)年、勝鬨橋も国の重要文化財に指定されています。

佃島の歴史に根ざした古風な赤い橋「佃小橋」

朱色の欄干が美しい佃島の佃小橋(12.5m)

最後に、1984年に完成した小さな橋、佃小橋をご覧いただきましょう。

隅田川の下流に浮かぶ佃島の佃支川に架かっている石橋です。近くの住吉神社とも縁のある雅な橋で、朱色の欄干が特徴的です。

佃島は元々は隅田川の河口付近に広がる砂州であったといい、江戸時代初めに遠く摂津国の佃村の漁師が江戸幕府から拝領して漁村がつくられました。

日本の食卓によく登場する「佃煮」はこの島から誕生したことで知られ、現在も佃島の特産品として味わうことができます。

いまも江戸時代の名残がまちの随所に残され、長い歴史と伝統・文化が息づいている中央区──。

水辺に沿って新旧の橋を探訪してみるのはいかがでしょうか?

そこでしばし「水の都」に思いを馳せてみると、現代人が見落としてしまっている大切なこと、まちづくりのヒントなどが浮かんでくるかもしれません。

東京都中央区 おすすめ観光スポットMAP

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA