日本のチョコレートの歴史
チョコレートは、世界中で愛されるスイーツの一つです。ここまで、海外でも活躍する日本のショコラティエのチョコレートをご紹介させていただきましたが、そもそも日本人とチョコレートの出会いはいつが始まりなのでしょうか。
意外と今まで知らなかった日本のチョコレートの歴史を紐解いてみようと思います。
チョコレートが日本に初めて伝わったのは?
一説によると、日本人で初めてチョコレートを口にしたのは 江戸初期の仙台藩士支倉常長(はせくらつねなが)だったと言われています。
支倉がメキシコに出向いた際に、薬用としてチョコレートを口にしたという話ですが、実際に記録としては残されていないので定かではありません。
きちんと記録として残っている最古のものとしては、18世紀に長崎の遊女がオランダ人からもらったものをリストにした『長崎寄合町議事書上控帳』に記載された「しよこらあと」とが有力です。
また1873年に岩倉使節団がフランスを訪問し、チョコレート工場を見学した記録も残されています。
日本でのチョコレート人気と発展
現在の日本は世界でも有数のチョコレート消費国として知られています。近年ではチョコレートブランドの競争も激しくなっており、日本人のチョコレートへのニーズも多様化しています。こからは、日本でのチョコレート人気と発展について、時代を追ってご紹介します。
日本初の国産チョコレートが明治時代に販売される
明治11年(1878年)日本初国産のチョコレートが、「風月堂総本店」で販売されます。
風月堂総本店5代目の大住喜右衛門が、当時の番頭である米津松蔵に横浜で技術を学ばせたことにより実現しました。
当時の新聞には「貯古齢糖(チョコレート)」という記載で広告が打たれたようです。
しかしながら、高級品であったチョコレートは庶民の口には到底入らない代物でした。
明治時代のチョコレートが今のチョコレートとどれくらい見た目や味に差異があったのか筆者も気になるところです…
チョコレート製造技術の向上とともに庶民にも普及する
大正時代に入ると、森永商店(現:森永製菓)が輸入チョコレートを原料にクリームチョコレートを製造します。
ここからさらに日本のチョコレート産業は躍進します。
1909年には板チョコの販売を開始し、1918年には原料であるカカオ豆から生成するところまで発展していきました。
その後不二家や明治製菓も次々にチョコレートをつくるようになり、広く一般にチョコレート菓子が普及していきます。
この時代のチョコレートはチョコボールや棒状のチョコなどが主流だったようですが、今でもこの種のチョコレートが親しまれているのを見ると、歴史の深さを感じられますよね。
日本のバレンタインデーのはじまり
チョコレートというと2月14日のバレンタインデーのイメージが強いですがその発端は1936年に洋菓子メーカーモロゾフが海外向けに「恋人にチョコレートを贈る」という趣旨の広告を出したのが始まりと言われています。
その後洋菓子メーカーメリーチョコレートカンパニーが新宿伊勢丹本店でバレンタインセールを始めたことにより、他の百貨店もこぞってバレンタインのイベントを行うようになっていきました。
こうして悲しくも企業の戦略により定着していったのが日本のバレンタインデーなのです。
ちなみにホワイトデーにバレンタインデーのお返しをするというのは、日本独自の文化で欧米ではこのような形式はとられていません。
何はともあれ、日本のバレンタインが私たちの生活に馴染んでいったおかげで、毎年クオリティの高いチョコレートを手に入れる機会が増えたのは嬉しい事実です。
今後はますます筆者のように自分のために高級チョコレートを購入する人も増えるのではないでしょうか。
チョコレートで日々の疲れを癒そう
バレンタインデーには自分への贈り物も、大切な人への感謝の印も、すべての目的にふさわしい特別な日が訪れます。その魔法のような日を彩るのは、一口食べれば幸せが広がるチョコレートたち。
日本のチョコレートは、ますます進化し、無限の可能性を秘めています。その魅力に触れるたびに、私は新たなドキドキを味わえるチョコレートとの出会いを楽しみにしています🍫
今年のバレンタインデー、自分へのほんのちょっとしたご褒美や、大切な人への感謝の気持ちを込めて、日本のショコラティエが魅せる素晴らしいチョコレートを堪能してみてください。
幸福なチョコレート体験が、皆さんを温かく迎えてくれます。バレンタインデーの魔法に身を任せ、愛と幸せを一粒のチョコレートに託して、特別な瞬間を楽しんでください。
執筆:Honami
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