岐阜県、その美しい自然と豊かな歴史が息づく地域。その中でも、特に注目を集めているのが、岐阜県が誇る伝統工芸の一つ、「和傘」です。その美しさと機能性で知られ、日本の伝統的な生活スタイルを象徴するアイテムとして、国内外から高い評価を受けています。
和傘の製造過程は、細部にわたる手作業が必要とされ、その一つ一つが職人の技術と情熱の結晶です。その技術は、長年にわたり磨き上げられ続けてきました。
岐阜県の和傘は、その美しさだけでなく、その製造過程における職人の技術と情熱を感じることができるまさにジャパンクオリティなアイテムです。日本の伝統的な美を体現するアイテムとして、多くの人々に愛されている和傘の魅力をご紹介します。
(この記事は初めて2019年7月30日に公開され、その後の情報更新を経て、2023年8月3日に再公開されました。)
Contents
和傘の進化 日本人の雨の日を快適にした「傘」
日本の四季折々の美しい風景を彩る伝統的な「和傘」。
その優れた技術と美しさは、世界中から称賛を受ける「ジャパンクオリティ」として知られています。
本記事では、日本の伝統文化のひとつである「和傘」の魅力に迫りつつ、特に岐阜県加納地区で育まれている「岐阜和傘」に焦点を当ててご紹介します。
美しい和傘の世界に心を奪われ、岐阜和傘の繊細な技と情熱を感じてみましょう。
和傘と洋傘の違い
「和傘」とは一般的に竹などを軸とした骨組みに、防水加工された和紙などを糊(のり)で張って作られた傘を意味します。
竹以外にも木、糸といった天然素材を使用した骨組に和紙を貼って作られた雨傘(蛇の目傘、番傘など)と日傘の総称として「和傘」が使われています。
和傘と洋傘はそもそもどんな違いがあるのか?
和傘に対して私たちが日頃よく使っているのは「洋傘」です。洋傘は金属製の骨組みに、木綿、絹、ナイロン、ポリエステルなど防水加工された布を使用しているものが一般的です。
和傘は竹の力で骨と和紙を支えており、傘を畳んだ際に、骨の内側に和紙が自動的に細かく畳み込めるようになっています。
洋傘の骨が6本から8本と数本程度であるのが一般的なのに対して、和傘に使われている骨の数は数十本と圧倒的に骨の数が多くなっています。
和傘の骨は36本、40本、44本、46本、48本、54本と傘の種類や用途によって変わりますが、その理由は洋傘と違った、和傘の展開方法にあります。(洋傘にもデザインなどのため16本や24本の骨を使用したものもあります。)
さらには、傘を傘立てに立てたり、持ち歩くときも和傘と洋傘では真逆です。
和傘は先端に水が溜まるのを避けるため、必ず先端部分を上にして取り扱います。
洋傘と同じように持ってしまうと、和傘は自然と開いてしまうので、持ち歩くときには要注意です。
一見、和紙でできていると聞くと、洋傘よりも壊れやすいのではないか?濡れて大丈夫なのだろうか?と思ってしまいませんか。
ところが、実際の和傘はものすごく丈夫なのです。
油を塗った和紙は濡れれば濡れるほど、固く丈夫になっていきます。
濡れて、乾かしてを幾度となく続けていくと、耐久性が増すのです。
正しく丁寧に取り扱えば、もちろん長持ちする!というのが和傘の魅力でもあり、その先人たちの技術にジャパンクオリティをひしひしと感じる点でもあるのです。
和傘の特徴と種類
「和傘」と一言で言っても、用途によって種類やデザインがそれぞれ異なります。ここからは、和傘の代表的な種類を一緒に見ていきましょう。
和傘の雨傘「番傘」と「蛇の目傘」
和傘の雨傘の種類には「番傘」(ばんかさ)「蛇の目傘」(じゃのめがさ)などがあります。
竹などを材料としてでできた傘骨と、和紙に柿渋・亜麻仁油・桐油などの植物性油を塗って、防水したものが雨傘として使用されました。
番傘とは
和傘の雨傘である「番傘」。番傘は一般的に2尺6寸(約80㎝)の柄に54本の骨を糸でくくり,骨太な造りでかなり重く、女性が片手で持ち上げるのは難しいため、主に男性が使用していました。時代劇などで庶民が持っているのをよく目にするのもこの番傘です。
番傘の特徴
番傘は持ち手などを竹素竹の良さをそのままに活かした普段使い用のシンプルで丈夫な和傘です。荏油(えのあぶら)で防水された厚い和紙と、竹の削りが粗い骨で作られた、もっとも安価な傘として雨や雪の日に使用されていました。
番傘の名前の由来
番傘の名前の由来には諸説あります。
江戸時代ごろの商店では使用人が利用したり、お客様などに貸し出す傘として、使用頻度も高く識別が難しかったので番号や屋号、家紋などの印を入れた和傘が使われていました。それが「番傘」と呼ばれるようになったという説。
もう一つの説は、江戸時代の中期から後期にあたる17世紀終わりから18世紀初めのころに、大坂の大黒屋が大黒天の印を押して「大黒番傘」を売り出しました。この和傘は値段が安く、丈夫だったため江戸にも伝わり、庶民の間で大流行し、後に印や判を入れた和傘が「伴傘」から「番傘」になったともいわれています。
現在も力士や料亭などのお店の「名入れ傘」としても使用されています。
蛇の目傘とは
和傘の雨傘「蛇の目傘」。蛇の目傘は細い骨組みに、持ち手の柄には木棒や竹が用いられている細身の和傘です。番傘を改良して考案され、江戸時代に歌舞伎の小道具として使われ人気となり、庶民の間にひろまりました。
蛇の目傘の特徴
蛇の目傘は、傘の内側に糸装飾が施されていて、色や柄も豊富にあるのも特徴です。元々は中心部分に白い和紙がはられており、周囲が黒や赤や紺の太い輪が二重になっているようなデザインでした。
開いた傘を上から見ると、まるで蛇の目のように見えることから「蛇の目」という名が付きました。
他にも和傘の外側部分の輪を黒く塗ったものや、渋を塗った「漆蛇の目」などがあります。
最近では本来の蛇の目柄(中心が白いもの)だけではなく、多種多様なデザインのものが多く流通しています。
蛇の目柄は古くから日本に伝わる伝統的な柄の一つです。日本では太古から蛇は信仰の対象として崇められていました。そんな縁起も良い蛇の目をかたどったことから、魔除けの意味なども込められており、長く人々に親しまれています。
「日傘」と「舞傘」
「日傘」と「舞傘」は、日本舞踊や歌舞伎などで舞を舞うときに小道具として使われることが多い少し小ぶりの和傘です。
その名の通り和紙に防水加工がされていないので、雨傘としての役割は果たしません。
「日傘」と「舞傘」の特徴
日傘と舞傘は防水加工はされていませんが、和紙本来の良さを感じられる作りになっています。友禅和紙などの柄や模様の美しさが楽しめ、軽く作られているので、長時間舞などで用いても疲れにくい構造になっています。
野点傘(のだてがさ)と妻折野点傘(つまおりのだてがさ)
野点とは元々、屋外でお茶を入れて楽しむ茶会のことを表しています。野点傘は、前述の3つの傘に比べるとサイズも大きく、自力で立たせることが出来ないので、傘立台、毛氈(もうせんと呼ばれるマット)、床几または縁台(お茶屋などで見るひじ掛けのないベンチのような腰掛)など支えるための周辺の道具が必要となります。
また野点傘には2種類あります。
一つ目は「本式野点傘」と呼ばれる日常の番傘をそのまま大きくしたシンプルなものです。
そして2つ目は、「妻折野点傘」と呼ばれ、元々高貴な人々に差し掛けるための傘を大きくし、人を傷つけないように傘の骨の先を内側に湾曲した形が特徴的で、内側に魔除けの意味を持つ5色の糸が使われているものです。
妻折野点傘は、かつて北野大茶湯にて、丿貫(へちかん・伝説的な茶人)が豊臣秀吉を「大変風流だ」と喜ばせた記録も残っている歴史の深い傘です。
雨具としてだけでなく、和傘は古くから日本文化において大きな役割を果たしているばかりでなく、偉人までもを魅了する美しさだったことが伺えます。
和傘の歴史 童謡にも登場する伝統
♪童謡「あめふり」Guidoor スタッフ作成
雨が降ると思い出す曲があります。「雨 雨 ふれふれ 母さんが 蛇の目でお迎え 嬉しいな ピチピチ チャプチャプ ランランラン♪」
歌詞の中で幼い頃からずっと気になっていた「蛇の目」という言葉。
それはまさしく日本の和傘、伝統工芸品である「蛇の目傘」を指す言葉でした。
お母さんが雨の日は特別に迎えに来てくれるから嬉しい!という子供心を唄った歌ですが、もしかしたら美しい蛇の目傘自体に、子どもながらに魅力を感じていて、着物に蛇の目傘をさす母の姿が誇らしいなという気持ちも含まれていたのかもしれません。
洋傘が主流になっている現代では、聞きなじみがないワードかもしれませんが、「蛇の目傘」は洋傘が日本に現れるまで、私たちの生活を支える雨の日の必需品でした。
和傘の歴史 閉じることができなかった?!
そんな蛇の目傘をはじめとする和傘が登場するまで、「傘」に限りなく近いものが飛鳥時代から日本には存在していました。
「蓋(きぬがさ)」です。これは、長い柄の絹を張った傘で、貴人(身分が高い人)が外出する際に後ろからさしてもらい、日よけや魔除けの役割として使用していたようです。
その後平安時代に和紙が普及していくとともに、和紙と竹のフレームを使い少し蓋も改良されますが、依然天蓋のように覆いかぶさる形で雨の日に使うという目的は果たされていませんでした。
室町時代になると、和紙に油を塗って防水を施した雨傘が登場します。
しかしながら、飛鳥時代から改良され続けていた傘も未だ閉じることはできず、開いたままの大変場所をとる代物で、さらには当時、高貴な階級の人のみが持てる高級品として扱われていました。
庶民は皆、蓑(みの)で雨を凌いでいたのです。
傘が本来の形で閉じられるようになったのは、安土桃山時代に入ってからと言われています。
唐から伝来したものを元に改良されたとも伝えられています。
こうして本来の形の「傘」が誕生し、江戸時代中期にはようやく一般的にに流通するようになったのです。
かつての美人画には、美しい和傘を持つ女性が多数描かれており、その時代のトレンドのファッションアイテムとして女性たちの心を掴んでいたことがわかります。
余談ですが、和傘は別名「から傘」と呼ばれ、唐から伝わったからという説と、開閉ができるようになったことで「絡繰傘(カラクリ傘)」「絡傘」が省略されてその名がついたとも言われています。
このように和傘は少しずつ実用性が上がり、洋傘が台頭するまでの長い間、日本人の雨の日の憂鬱を晴らしてくれる存在となったのです。
「岐阜和傘」 進化し続ける職人の美意識
では、全国で和傘の生産量のほとんどを担っているのは一体どこなのしょうか?
答えは、「岐阜県加納地区」です。この土地で作られている「岐阜和傘」は、岐阜だけでなく日本を代表する伝統工芸として知られています。
一度見たら必ず目を奪われる美しい岐阜和傘の世界をご案内します。
「岐阜和傘」は長良川の清流に乗って人々の元へ
寛永16年(1639年)、 金右衛門という傘屋が現在の兵庫県明石市から来たことが加納地区での傘づくりのはじまりであると史料には記されています。
その後宝暦6年(1756年)永井直陳(ながいなおのぶ)が武蔵岩槻藩から移封し藩主となると、下級武士の生計を立て直すため、内職としての和傘製造を奨励しました。
伝統工芸品の中でも100の工程に及ぶ和傘は最も手間がかかるものの一つと言われていますが、当時下級武士が傘骨づくりに町人や農民が傘張り(和紙を骨に張っていく作業)にと分業化が自然とされていったことで、岐阜和傘の生産性を高めていきました。
また、加納地区は美濃和紙の産地に近かったことや、輪中(集落を水害から守るための堤防。加納輪中は大量の水の流入が予期されなかったため、完全に堤防に覆われていなかった。)付近で良質な竹が採れたことで、原材料に大変恵まれていたということが和傘作りの発展に大きく寄与しました。
さらには、長良川の恩恵も受け、船によって大阪や江戸に輸送されたことで、広範囲にわたっての岐阜和傘の販売が後押しされ、全国に岐阜和傘が知られるようになっていったのです。
「岐阜和傘」は見た目だけじゃない!一番大切なのは造りの美しさ
美しい柄や色についつい目を引かれてしまいますが、真の「岐阜和傘」の美しさは、まさにジャパンクオリティと言われる職人芸で生み出された造り(構造)に詰まっていると言っても過言ではありません。
当時、他の地方で作られていた和傘は太い番傘が主流でした。
そんな中で、岐阜和傘が生み出す蛇の目傘の細身で繊細な造りは珍しく、人々の心を惹きつけました。
岐阜和傘特有の均等に配置された竹骨や独自手法で生み出される透け模様やデザインは優美で、上品な雰囲気を漂わせ、「高級和傘」として一目置かれる存在だったのです。
こうして明治5年には146万本、昭和23年には1千万本と岐阜和傘はついに最盛期を迎えます。
しかし時代の波には抗えず、洋傘の台頭により和傘の生産は著しく減少していくのです。
最盛期に500軒以上あった傘屋は5分の1にも減少し、職人の高齢化なども伴って危機的状況になっていきます。
そんな中でも、フォトジェニックな和傘で若者の心を掴んだり、お土産として観光地で販売し、外国人観光客に人気を博したり、様々な努力が人々によってなされています。
若手の職人達もこの素晴らしい伝統工芸を「後世に残したい」という想いで、目覚ましい活躍を遂げています。
特に各メディアでも取り上げられている女性職人がすべての工程を一人で行い、独自の感性で作り出している和傘はおしゃれに敏感な女性たちの心も大きくとらえています。
最近では、2019年2月公開の映画「メリーポピンズリターンズ」で主演を演じた女優エミリーブラントさんがジャパンプレミアで来日した際に、桜をかたどった岐阜和傘がプレゼントされ、SNS上でも大変話題を呼んだのが記憶に新しい出来事です。
いつの時代も、伝統を守っていくためには新しいアイデアと、そのアイデアを形にする人々の力が大きく作用しているのではないでしょうか。
ジャパンクオリティ「岐阜和傘」に触れる体験
今まで思う存分和傘の魅力について触れてきましたが、最後に「岐阜和傘」の世界をもっと楽しめる施設をご紹介します。
岐阜長良川の湊町に2018年にオープンした体験型工房「長良川てしごと町家CASA」。
築100年の町家にできたこの施設では、岐阜和傘の販売や、その名の通り長良川の伝統工芸と手仕事を紹介しており、様々な体験もできます。
町家の趣深い館内で、「岐阜和傘糸かがり体験」(要事前申し込み)をはじめとする職人技体験教室に参加しながら自分だけのオリジナル和傘を作ってみませんか?
長良川てしごと町家CASA 基本情報
住所:岐阜市湊町29
TEL:090-8335-9759(和傘CASA)
営業時間:11:00~18:00
定休日:火曜・水曜
公式WEB:長良川てしごと町家 CASA
日本の伝統的な「和傘」の魅力と岐阜和傘の美
日本の伝統的な「和傘」は、美しい風景を彩り、深い歴史と巧みな技術が結びついた「ジャパンクオリティ」を体現しています。
本記事では、和傘の魅力と、特に岐阜県加納地区で根付いた「岐阜和傘」に焦点を当て、その美しさと職人の情熱をご紹介しました。
和傘は洋傘とは異なる独自の特徴と種類を持ち、日本人の雨の日を快適にする傘の進化を成し遂げてきました。その中でも「番傘」「蛇の目傘」、「日傘」と「舞傘」、そして「野点傘」と「妻折野点傘」などがあります。
岐阜和傘は、長良川の清流に乗って人々の元へと伝えられてきました。その美しさだけでなく、岐阜の風土や職人の情熱が込められた造りの美しさがあります。訪れる人々は、長良川てしごと町家CASAなどで、ジャパンクオリティの岐阜和傘に触れることができます。
日本の伝統文化を象徴する和傘の魅力を味わい、岐阜和傘の進化と美しさを感じる貴重な体験をしてみてください。四季折々の風情とともに、和傘の魅力に心を奪われることでしょう。
執筆:Honami
わーい
おおおおおー
岐阜の和傘すてきですよね。
高くてすぐには買えませんが何かの記念にほしいな!と思います。まずは、岐阜に遊びに行きたいですね。
凄く分かりやすく和傘のことについて教えていただきありがとうございました