神戸ファッション美術館が1997年、兵庫県神戸市に日本初のファッションをテーマにした公立美術館として誕生しました。
神戸港が開港してから150年以上が経ち、洋装文化を早くから取り入れた神戸は、流行に左右されずに「値段にこだわらず、上品に着こなす“良いもの”」を追求するファッション都市として今も脚光を浴びています。
本記事では、日本のファッション文化の聖地と言われる「神戸」のファッションに迫り、我々日本人が歩んできたファッション史を辿っていきます。
身にまとう喜びや、まるで別人になったかのような自信に満ち溢れる瞬間を再び感じませんか?
この記事を通じて、ファッションがもたらす幸せを共に確かめましょう。
(この記事は過去に掲載した記事を更新し2023/07/11再公開しました。)
Contents
第1章:神戸のファッション都市への歩み
1973年に全国に先駆けて「ファッション都市宣言」を発して以来、ファッション性豊かな街づくりに力を入れ、日本を代表するファッション都市として発展を遂げてきた神戸。
その陰には、神戸のファッション文化を支える地場産業の存在がありました。
この章では、いくつもある地場産業の中でも特にファッションに関連性の高いもの4つに焦点を当て、それらの歴史から神戸とファッションの繋がりを見ていきたいと思います。
1.世界有数の真珠都市
まず神戸を代表する地場産業としてはじめに挙げられるのは、真珠の加工です。
真円真珠養殖が盛んになり始めた昭和3年頃、日本ではまだまだ手の届く価格ではなかった真珠の需要は、専らヨーロッパやアメリカに限られていました。
そんな中、海外輸出に向けて三重県をはじめとする真珠養殖に長けた県から、地理的にも近い国際港である神戸港に真珠が集まってきたのです。
こうして神戸の真珠加工技術は目まぐるしく発展していき、いつしか「パールシティ」と呼ばれるようになりました。
現在では日本の8割の真珠の加工・流通を神戸が取り扱っており、真珠加工業者が集中する神戸市北野町の北野パールストリートには100社もの加工業者が並んでいます。
神戸は今や世界でも有数の真珠加工の都市として、海外からのバイヤーから一目置かれているのです。
そんな神戸の真珠加工技術をより詳しく知ることができる施設が「神戸パールミュージアム」です。
真珠の成り立ちや魅力だけでなく、神戸の街がパールシティと呼ばれるまでの歴史的背景を一から学ぶことができます。
また阪神淡路大震災から10年の月日が経った2005年に復興記念として建てられた真珠でできた鐘「復興の鐘 ペルラ・ヴィータ」など貴重な真珠の展示も必見です。
神戸パールミュージアム
住所:兵庫県神戸市中央区東町122 日本真珠会館
TEL:078-331-4031
営業時間:10:00~17:00
定休日:土日祝
入館料:無料
日本の養殖真珠についてもっと知りたい方はこちらの記事もどうぞ
2.洗練されたオーダーメイド技術の神戸ファッション
神戸洋服とはタキシードやビジネススーツなどの洋装のことを指し、開港後1869年にイギリス人のカペルが神戸の旧外国人居留地で「洋服店カペル」を開いたのが普及の始まりと言われています。
その後カペルに弟子入りした柴田音吉は日本人初のテーラー(仕立て屋)として洋服店を元町に開業し、日本近代洋服の発祥地として神戸は全国に知られるようになっていきました。
柴田は明治天皇や伊藤博文の洋服などを仕立てるまでのテーラーとなり、神戸の洋服は宮中や官僚たちにも大変人気の高い高級紳士服として、目覚ましく発展していきます。
やがて多くの仕立て職人が神戸に集まってきて、お互いに知恵を出し合い切磋琢磨しながら、一人一人の体に馴染むオーダーメイド技術を更に進化させていきました。
東遊園地に昭和49年(1974年)に建てられた「日本近代洋服発祥の地記念彫刻」を見ると、神戸の街と洋服の深い結びつきをより感じられるのではないでしょうか。
ほぼすべてが手仕事であるが故、1着に10日ほどかかる神戸洋服のオーダーメイドはビジネスマンにとって現在でも憧れの存在として君臨しています。
古くから受け継がれてきた匠の技が、神戸の街では生かされ続けているのです。
東遊園地
3.上品なファッション店舗が軒を連ねる神戸
アパレルとは元々は既製服のことを指していましたが、現在では洋服だけでなくアクセサリーや靴小物なども総称して「アパレル」と呼ぶことが多くなっています。
神戸のアパレルが急速に発展したのは前述の神戸洋服が発展しつつあった大正時代。
婦人服専門店なども軒を連ね、神戸独自の流行に流されない上品なファッションが確立されました。
海と山に囲まれた神戸は自然に溢れ、一方では開港と共にいち早く欧米文化を取り入れた先進的な街でもあります。
またハイソサエティ(上流階級)な人々が密集していたこともあり、このような神戸独特の服装文化が生まれたと言っても過言ではないでしょう。
洗練された独自のセンスは、今も尚神戸をおしゃれな街として牽引する大きな柱となっています。
既に大正時代にはシャネルのデザインを模したものを女学生の制服に取り入れるなど、他には例のないファッション文化は学生服の分野にも及び、今も子供服や私立の制服に色濃く表れています。
神戸アパレルの最も特徴を表しているのは、品の良さと値段にこだわらず常に良いものを身に付けるというブレないポリシーではないでしょうか。
目まぐるしく変わるファッションの流行の波にあえて乗らない潔さと、時が経っても決して流行遅れに見えない神戸のファッションは今も尚日本のファッション界に大きな影響を与えています。
4.歩きやすく評判の高い神戸靴(ケミカルシューズ)
「着倒れの京都、食い倒れの大阪、履き倒れの神戸」と言われるほど、神戸は知る人ぞ知る履物で有名な街です。
神戸の靴の歴史は、150年ほど前。
草履や鼻緒づくりに携わる職人が、この土地に住んでいる外国人の靴を修理したり、新しく作ったりしたことから生まれました。
明治22年(1889年) 元町2丁目に「神戸屋製靴 」という紳士靴店を6年間アメリカで靴づくりを学んできた平野永太郎が開業すると、自分たちの技術を磨きに、若き靴職人たちが地方から多数集まってきました。
こうして名実ともに神戸の街は靴づくりの街としても知られるようになっていったのです。
また、神戸靴を語る上で忘れてはならないのが「ケミカルシューズ」です。
元々日本で最初にゴム工業が起こったと言われている神戸ではゴム製の靴が盛んにつくられていました。
しかし戦争や不況の煽りを受けゴムは貴重品となり、ゴムメーカーは様々な化学合成品を用いた靴を代わりに作るようになりました。
神戸のケミカルシューズは、多種多様でスピーディーな生産が売りであると共に、履き心地の良さやクオリティの高さからも評判良く、口コミで瞬く間に全国的に人気を博していきます。
その後阪神淡路大震災で大きな被害を受け、安価な外国製品の流入により厳しい状況が続きますが、神戸のケミカルシューズを後世にも残していこうという街全体での取り組みが功を奏し、現在でも一大地場産業として注目されています。
第2章:神戸を代表するブランド
地場産業を通して、神戸がいかにファッションの街として戦前から目覚ましく発展を遂げてきたのかを知り得たところで、現在でもファンの多い神戸発ブランドをご紹介します。
神戸ファッションの品の良さが顕著に表れているブランドを通してさらに神戸ファッションの特徴が掴めてくるかと思います。
Chesty
大人の女性に向けた華やかで上品なワードローブをテーマに、女性たちの心を掴み続けている「Chesty」。
先日このブランドの代表取締役兼デザイナーであり、かつてJJモデルとしても若い女性のカリスマとして君臨していた小川(新姓:小島)淳子さんが脳腫瘍の為39歳という若さで亡くなられニュースになりました。
小川さんが神戸のファッション界に残した功績は計り知れないほど大きく、これからもその遺志を継いだ目にも鮮やかで心躍るコレクションがファッション界で生き続けていくことを願っています。
Chesty 神戸本店
住所:兵庫県神戸市中央区江戸町98-1 東町江戸町ビル1F
TEL:078-392-2370
公式WEB:chesty
familiar
NHK朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」のモデルにもなった日本初そして神戸発のベビー・子供服ブランド「familiar」。
戦後の混乱期にかつてはお嬢様だった4人の女性たちが自立し、西洋に比べてものすごく遅れている日本の育児方法やベビー用品を一新したいという想いで生まれたブランドです。
素材の良質さ、縫製の緻密さ、そして上品で洗練されたデザインは今も尚子育て世代に愛され続けています。
familiar 神戸本店
住所:兵庫県神戸市中央区西町33番地2
TEL:078-321-2468
公式WEB:familiar
LE CIEL BLEU
グローバルな視野と凛とした強さ、そして女性らしさを兼ね備えた現代女性をイメージしたブランドLE CIEL BLEU。
2005年にセレクトショップのオリジナルブランドとして立ち上がったこちらのブランドは、20代・30代に向けた上質でシックなアイテムが豊富に揃い、まさに現代の神戸ファッションを体現しています。
トレンドを取り入れながらも普遍的なスタイルで飽きのこない洋服を求めている方にはぴったりのブランドです。
フランス語で青い空を意味するブランド名に沿って飛躍し続け、東京に旗艦店もオープンしています。
LE CIEL BLEU 旗艦店
住所:東京都港区赤坂9-6-15 221RESTIR B1F
TEL:03-5786-1253
公式WEB:LE CIEL BLEU
第3章:ファッションの歴史を体感する神戸ファッション美術館
神戸の街に1997年に開館した日本初のファッションをテーマにした美術館「神戸ファッション美術館」。
現在この美術館の名誉館長には、世界的なファッションデザイナーであり美術家のコシノヒロコ氏が就任しています。
館内には18~20世紀の西洋の衣装や70 か国以上の民族衣装、装飾品やスタイル画、またファッションに関連する書籍や雑誌などが閲覧できるライブラリーも併設されていてファッション好きにはたまらないコレクションが目白押し。
また定期的に行われているコレクション展も多種多様で、ファッションを体系的に学ぶことができる貴重な場所です。
さらに神戸ファッション美術館が力を入れているのは、「ファッション産業の人材育成」。
「素材」、「色彩」、「装飾」、「歴史」、「デザイナー」、「社会」、「メディア」の7つのカテゴリーで個人向け講座・服飾文化セミナーも行われています。
ファッションに少しでも興味のある方は、時代と共に変遷するスタイルを間近で見て学んで多くのことを感じられるのではないかと思います。
神戸ファッション美術館
住所:神戸市東灘区向洋町中2-9-1
TEL:078-858-0050
開館時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館。翌平日休館)・年末年始(12/29~1/3)・展示替え期間(展示室のみ)
入館料:公式HP要確認
公式WEB:神戸ファッション美術館
第4章:日本のファッションの変遷
この章では日本のファッションが最も発展し始めたと言われる1950年代~現在までのファッション史を振り返り、いつの時代も様々なスタイルで表現されてきた日本のファッションを追いかけてみようと思います。
懐かしいものから、巡りめぐって今の流行に反映されているものまで。
いつの日も人々を輝かせてきたファッションの世界を一緒に覗いてみましょう。
1950年代:オードリーヘップバーンのファッションが流行
戦後間もない日本の1950年代のファッションのベースを築いたのは1947年にクリスチャンディオールが発表した「ニュールック」と呼ばれるコレクションです。
くびれたウエストとグラマラスなバストラインを強調しつつスカートはふんわりとしたシルエットで、まさに戦前のパリのファッションを復興させたかのような女性らしいデザインは世界中に一大旋風を巻き起こします。
また日本は、ニュールックだけでなく映画界で一大ブームを築いたオードリー・ヘプバーンのファッションの影響も大きく受けました。
「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」など映画が大ヒットしたこともあり、ヘプバーンカットやサブリナパンツ(八分丈・九部丈の細身のパンツ)を真似する女性たちが急増。
今まで洋装と言えばスカートが主流だった日本人にとって、サブリナパンツのカジュアルながらもフェミニンな足首を見せるデザインは新しいはつらつとした女性像を生み出しました。
1950年代の流行【世界共通】
・ニュールック:クリスチャンディオールが1947年に発表。
・ネッカチーフ:スカーフをチーフリングと呼ばれる留め具で止めたもの。
・パナマ帽:パナマソウの葉を細く裂いた紐で作られる、夏用のつば付の帽子。
1950年代の流行【日本独自】
・ロカビリー族:1958年に開催された『日劇ウエスタン・カーニバル』がきっかけで誕生。オープンカラー(アロハシャツなどに見られる開襟シャツ)のシャツにリーゼント、身ごろの長いジャケットにマンボズボン(ラテンアメリカのリズム系音楽マンボのボンドが履いていた細身のパンツ)を着こなして当時異国情緒溢れる六本木を好んでいた。
・六本木族:ロカビリー族の後の名。革ジャンに細身のパンツ。
1960年代:アメリカナイズされたファッションが人気
1960年代を代表するファッションスタイルの一つは「ヒッピー」です。
アメリカで生まれたヒッピーファッションは既存の社会的秩序から脱し「自由に生きる」というモットーの下、戦争反対の意志や愛を謳う若者たちから生まれたもので、フレアジーンズ(裾の広がったもの)にTシャツ、ヘッドバンドなどが特徴的。
今もヒッピーファッションは一部の若者に根強い人気を得ています。
日本のメンズファッション界ではザ・ビートルズの影響でモッズファッションも大流行します。
モッズファッションは細身の三つボタンスーツにミリタリーパーカー、長髪にブーツといったスタイルで、日本のグループ・サウンズのファッションを牽引しました。
またアイビー・ルックと呼ばれるアメリカ西海岸にある名門私立大学の通称「アイビー・リーグ」の学生やOBの間で広まっていたファッションを基に考えられた紳士服も同様に日本で一大ブームを巻き起こします。
髪は七三分け、ボタンダウンのシャツに三つボタンのブレザー、コットンパンツにローファーと言ったいで立ち。
アメリカナイズされたスタイルは当時の日本の若者の憧れであり、メンズファッションへの関心が高まった時代を象徴しています。
1960年代の流行【世界共通】
・ヒッピー
1960年代の流行【日本独自】
・モッズ
・ホンコンシャツ:夏用の半袖ワイシャツ
・アイビー・ルック
・ミニスカート:美空ひばりが『真っ赤な太陽』で初めて履いたことから大流行。現代のミニよりも長め。
・みゆき族:銀座みゆき通りにたむろする若者。男子はアイビールックを少し着崩し、女性はロングスカートにリボンベルト、二つ折りのハンカチを頭にかぶるスタイル。紙袋や麻袋がバッグ代わり。
・サイケ族:ヒッピーから派生したファッション。汚れたTシャツにジーンズ、サンダル長髪に髭。仕事せず新宿東口にたむろしこの中から芸術家なども生まれた。新宿はアンダーグラウンド文化の発信地に…
1970年代:現在でも定番のカジュアルファッションが広まる
1970年代に入ると今まで作業着として認識されていたジーンズがファッションの中心アイテムとして浮上します。
ハイブランドのデザイナーがこぞってジーンズをデザインに取り入れたことが、ブームのきっかけでした。
また、アメリカのサブカルチャーが入ってきていた日本では、テニスやサーフィンなどのスポーツの流行に伴い、ジーンズにダウンジャケットやトレーナーを合わせるカジュアルファッションが人気を集めていきます。
さらに70年代は三宅一生(イッセイミヤケ)や高田賢三(ケンゾー)など世界で活躍する日本人デザイナーが次々に誕生する時代でもあります。
今でも若い女性を惹きつけている「non-no」や「an an」などの雑誌もこの頃に誕生し、日本のファッション文化は大きな変革を遂げていきます。
雑誌の影響を受け、横浜発祥のトラッド(トラディショナルスタイルの略)な服装にブランドバッグを合わせるお嬢様ファッション「ニュートラ」も女性たちに大流行し、その後のハイブランドブームの火付け役にもなりました。
1970年代の流行【世界共通】
・ジーンズ
・アランセーター:フィッシャーマンセーターの一つでアイルランドのアラン諸島発祥。縄状の独特の編み込み模様がポイントのセーター。
・サファリジャケット:サンローランが1969年にサファリルックで発表して以来大ヒット。日本では『太陽にほえろ!』のジーパン刑事やテキサス刑事の衣装に。
1970年代の流行【日本独自】
・トンボめがね
・ホットパンツ:ツイッギーの来日によりミニスカートが大ブームに。その流れで足を露出するホットパンツがトレンドに。
・ニュートラ/ハマトラ
1980年代:ボディコンスーツで体のラインを強調
今まで海外のファッションに大きく影響を受けてきた日本のファッションでしたが、1980年代には日本独自のファッションが発展していきます。
80年代はバブル景気の上昇も相まって、若者たちはおしゃれにお金をかけるようになっていきました。
ディスコが世間的に大ブームとなり、ワンレンヘアにボディコンスーツ(ボディコンシャスの略で体のラインを意識したスーツ)を身に纏い、ジュリアナ扇子を振り踊る女性たちが街に溢れていました。
また一方では、DCブランドと呼ばれるデザイナーズブランドとキャラクターズブランドの頭文字を取って名付けられたファッションカテゴリーが台頭します。
デザイナーズブランドはデザイナーの個性や感性が生かされた衣服であり、キャラクターブランドとは服を生産する会社が特定のイメージ=キャラクターを打ち出した衣服を指します。
現在では「DCブランド」は死語となっていますが、当時は山本耀司の「ヨウジ・ヤマモト」、川久保玲の「コム・デ・ギャルソン」、高橋盾の「アンダーカバー」などがDCブランドとして一括りにされていました。
1980年代の流行【日本独自】
・DCブランド
・竹の子族:野外で原色の派手な衣装を身に纏い、ディスコサウンドに合わせてステップダンスを踊る人々。
・ボロルック/乞食ルック:1982年にパリコレでコムデギャルソンが発表したファッション。穴が開いていたり、しわしわだったり、ボロのように加工されたファッション。
・カラス族:全身黒ずくめの若者たちの総称。喪のイメージが強かった日本の黒を一新。
・渋カジ:渋谷区をはじめとする首都圏の私立男子高校生発祥のファッション。紺のブレザーにポロシャツなど富裕層の子息っぽい恰好。
・ケミカルウォッシュジーンズ:生地の色落ちする薬品と共に洗った洗いざらしジーンズ。
・MA-1:航空機に搭乗するパイロット及びクルーが着用するフライトジャケットの一種。
1990年代:ギャル文化が根付いた
バブル経済の崩壊により派手なファッションから一転、落ち着いたメイクやファッションが好まれるようになった1990年代の日本。
アニエスベーが日本に上陸し流行したことにより、フレンチカジュアルブームもやってきました。
また、安室奈美恵のファッションを真似するアムラーを筆頭に「シャネラー(シャネルで全身をかためる人)」や「シノラー(篠原ともえ風ファッションの人)」など○○ラー(英語の接尾-erをつけた造語)と呼ばれる女性たちが増え、ファッションは多種多様にますますなっていきます。
この90年代を代表するファッションで忘れてはいけないのが「コギャル」です。
茶髪に厚底ブーツや目の周りを白く囲ったメイク。
そのコギャルたちが更に進化して「やまんばギャル」や「ガングロギャル」などかなり特殊なメイクを施したギャルたちが渋谷を中心に闊歩するようになりました。
余談ですが筆者もコギャルに憧れて、漫画雑誌『りぼん』で連載されていたギャル漫画「GALS!」にはまり、赤いメッシュを入れようと考えていた時期がありましたw
1990年代の流行【日本独自】
・シャネラー
・ギャルファッション
・厚底サンダル/ブーツ
・キャミソール
・ルーズソックス
・チビT/へそ出しルック
・スケーターファッション
・裏原ファッション
・サーファーファッション
・腰パン/腰履き
2000年代:多様なテイストをミックスするスタイルが流行
2000年代には今までカリスマと呼ばれていたファッションリーダー的存在を模倣するのではなく、自分らしいスタイルをそれぞれに楽しむ傾向に移行していきます。
相反するテイストを合わせるミックススタイルが主流となり、綺麗めなアイテムにロックな小物を合わせたり、カジュアルにエスニックを合わせたり、小物で外すなどのテクニックや○○ミックスと呼ばれるコーディネートが雑誌などでもよく見られるようになりました。
トレンドとなったローライズやスキニージーンズ、ニーハイブーツなどは今までの日本人の美意識を更に変え、足長効果やスタイルアップを意識したファッションが次々と登場します。
今となってはファッションアイコンとして当たり前の存在となりつつある読モ(読者モデル)もこの時代に現れます。
読モの登場と共に私たち一般人も、より身近にファッションの楽しさを感じられるようになったのではないかと思います。
男性の目線を意識したいわゆる「モテファッション」や一部の人に根強い人気を誇る「ロリータファッション」が爆発的にヒットしたのもこの頃です。
2000年代の流行【日本独自】
・ミュール
・ローライズジーンズ:股上の浅いジーンズ。下着も合わせたものが販売されるようになる。
・ロングマフラー:2メートル以上のものでボリューム感があり、首が長く見えると評判だった。
・キャスケット帽
・ニーハイブーツ
・ブーツイン
・カラータイツ
・ロリータファッション
・スキニージンズ
・ヒッピーバンド
現代:個々のスタイルを重視する時代へ
令和、そして2020年代という新しい時代へと向かう今。
ファッション界も様々なジャンルやカテゴリーに分かれ、個々に好きなものを選んで着る時代になっています。
一時期はファストファッションと呼ばれる低価格で大量生産なファッションが中心となっていましたが、大手ファストファッションブランドFOREVER21の日本国内撤退というビッグニュースと共にファッションの使い捨ての時代は終焉を迎えようとしているのかもしれません。
筆者が個人的に最近のファッションを見て寂しく感じるのは、どのお店を覗いても似たような商品が置いてあり、個性がやや失われつつあるのではないかという点です。
ファッションも時代と共に少し保守的になっているのかもしれません。
その傾向として、若者が服を買わなくなりファッション離れが進んでいるとも嘆かれているのです。
最近服の購入をしていない方もこの機会に新しいものを検討するのであれば、日本ならではの素材や技術が詰まったものを見つけていくことも今後の日本のファッション界を盛り上げていく上で大切なことかもしれません。
2010年代の流行【日本独自】
・ワンショルダー/オフショルダー
・Supreme:ニューヨーク発祥のブランド。
・スカンツ:スカートとパンツを合わせたもの。
・ガウチョパンツ:裾がゆったりとした七分丈のパンツ。
・ハイウェスト
・プロデューサー巻き:肩にカーディガンやシャツをひっかけるスタイル。
・ロールアップ:裾を捲し上げること。
ファッションの歴史は奥が深い!!
今回、日本のファッション文化の発祥地である神戸や日本のファッションの歴史について触れてきましたが、いかがでしたでしょうか。
ファッションの世界は未だに探求しきれないほど奥深く、日本は最初は西洋の文化をそのまま取り入れるだけでしたが、次第に独自の「カワイイ」を生み出すまでに発展してきました。
しかし、日本のファッションはまだまだ進化の途中であり、個性やセンスの面で他国と比較されることもあります。
今後の日本のファッション界の飛躍に更なる期待を寄せながら、私たち一人一人が自分自身を表現するツールとして「ファッション」を楽しめたら良いですよね。
執筆:Honami
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