「ゲゲゲの鬼太郎」に込めた想い -インタビュー その2-

「ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議展」鬼太郎たちと比叡山三大魔所屏風。屏風には、「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターや妖怪が描かれており、背景は淡い黄色と白を基調としたデザインです。様々な妖怪や登場人物が動きのある姿勢で表現されています。

2020年、新型コロナウイルスの影響で多くの文化施設が閉鎖される中、一つの展覧会が大きな話題を呼びました。それが『ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議展』です。比叡山延暦寺を舞台に、伝統と現代文化を融合させたこの展覧会は、訪れた多くの人々を魅了しました。

Guidoor Media編集部では、この展覧会の企画・運営に携わった3名のキーパーソンに独占インタビューを行い、その内容を3回に分けてお届けしています。前回の記事では、企画の裏側や経緯についてご紹介しましたが、今回は、第2弾としてアートディレクター兼絵師の山田晋也さんが語る、「ゲゲゲの鬼太郎」に込めた想いや、日本画と現代キャラクターを融合させた独自の表現について詳しくご紹介します。

▼「ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議展」の記事はこちら

現代のキャラクターを日本画で描く理由とは?

— 山田さんは今回の「ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議展(以下「ゲゲゲの鬼太郎展」)」以前にも「ゲゲゲの鬼太郎」を作品に取り入れてらっしゃいます。何かきっかけがあったのでしょうか?

山田:そうですね。以前に開催した「ぼくらが日本を継いでいく」展では、琳派へのオマージュとして、漫画やアニメのキャラクターを琳派の手法を使って描いたんです。「琳派」って、元々「大和絵」とも呼ばれていて、「大和」っていうのは日本独自って意味なんです。

「ぼくらが日本を継いでいく」展
琳派や若冲など日本画の世界と、手塚作品から初音ミクなどまでの幅広いキャラクターが融合した新たな表現で作品が展示された。
山田さん曰く「マンガやアニメも、戯画や絵巻など日本古来の絵画の流れを受けているとも言える。では、そのマンガやアニメを琳派の手法で描くとどうなるだろうか?」と考え、琳派へのオマージュ作品を企画したのが始まりだった。

出典:『ぼくらが日本を継いでいく −琳派・若冲・アニメ− 』

「琳派」 
デザイン性の高さや、華やかさ、親しみやすさがあることから、日本美術で伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)と並ぶ人気を誇るのが琳派(りんぱ)です。もととなっているのは国内外で有名な絵師・尾形光琳(おがたこうりん)。光琳が生きていた時代に彼らを表す特別な名称はなく、光琳に通じる特徴のある絵を描いた絵師たちがひとまとめにされるようになり、この名称は近代になってつけられたもの、とされています。

出典:俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一、琳派とは?が3分で解決

山田:実は日本画といっても、その中にはさまざまな流派があるんですが、純粋に日本独自と言えるのは琳派だけなんです。他に「漢画」もありますが、これは中国から伝わった絵です。

例えば「鳥獣人物戯画」も大和絵の一つです。もともとは「漫筆画」と呼ばれていて、随筆のように描かれた絵という意味があります。

葛飾北斎が描いた「北斎漫画」も、1814年に初編が刊行されて、これが「漫筆画」から「漫画」という言葉が生まれた由来です。つまり、漫画は基本的に大和絵の一種なんですよ。「鳥獣人物戯画」もその流れにあります。

そんな「大和」という日本独自のものを、今の時代にもう一度繋ぎ直してみたいという想いがあります。

黒い和服を着た山田晋也が手を顎に当てて考え込むような表情をしています。室内のラウンジのような場所に座っており、周囲には木製の椅子や机が配置されていて、他の人物が数名見えます。窓から差し込む自然光が室内を明るく照らしています。
山田 晋也さん

山田:それに、僕はもともと小学校の頃から漫画オタクだったんです。その頃、兄がサブカルチャー好きで、彼の影響を強く受けました。兄は水木しげるさんや手塚治虫さんが大好きで、家には何千冊もの漫画がありました。自然と僕も漫画が好きになり、その文化が自分の中で大切なアイデンティティーとして根付いています。

水木しげるさんや手塚治虫さんは、現代のことだけでなく、歴史や絵画、江戸時代のこともしっかり学んでいて、そうした要素、例えば浮世絵などを非常にうまく作品に取り入れて、漫画で表現されています。

だから自分自身の中で、描いていてすごく合わせやすい部分がありました。

「お釈迦さん」から紡がれる「キャラクター」の概念

山田:今回、比叡山の「涅槃会」という法要で僕の作品を飾っていただいたんです。そのときに改めて「キャラクター」っていう概念について考えました。キャラクターって、日本語に訳すと「性格」や「人格」といった言葉になります。

涅槃会(ねはんえ)
お釈迦さまがお亡くなりになったご命日。毎年2月15日に世界中の仏教徒が、お釈迦さまのお徳を慕い報恩感謝の気持ちをあらわす記念の法要のこと。

出展:涅槃会(ねはんえ)

山田:日本で一番古く、そしてポップなキャラクターとは何かと考えたとき、僕の中で真っ先に思い浮かんだのが「お釈迦さん」でした。

僕が小さい頃、どこの家に行っても「まんまんちゃんしなさいよ(仏壇や仏様に南無阿弥陀仏しなさいよと言う近畿の言い方)」と言われて、仏壇に手を合わせるのが当たり前でした。おばあちゃんの家には仏像や仏間があって、それが生活の一部だったんです。

昔の日本では、今よりもっとこうした宗教的なものが生活に根付いていたと思います。しかし、いつの間にか無宗教化がどんどん進んでしまいました。その時代の人々にとって、身近な憧れのキャラクターが「お釈迦さん」だったのではないでしょうか。

時代が変わり、テレビやインターネットの普及によって情報の伝達方法が変化し、それに伴って「惹かれる・憧れる」対象も変わってきました。そうして生まれたのが「初音ミク」や漫画・アニメのキャラクターたちなんだと思います。

黒い和服を着ている山田晋也さんが、真剣な表情で前方を見つめています。背景には他の人物が数名映っており、室内の温かみのある木製インテリアや掲示物が見えます。リラックスした雰囲気の中で、山田さんは何かを考えている様子です。

山田:いつの時代も、やっぱりみんな何かにすがりたいんです。

僕自身も小さい頃、仮面ライダーのようなヒーローに憧れて、「ヒーローになりたい」と思っていました。そんな幼少の頃から心に残ってるものが、「ゲゲゲの鬼太郎」やキャラクターたちなんです。

キャラクターには、人々に昔から変わらずある「恐怖・畏怖」を感じさせる部分もあると思います。日本人ってネガティブ思考な面があるので、そういうある意味ネガティブで捉えられた姿のキャラクターたちもいると思います。

例えば、アフリカのお面って少し怖いデザインだけど、同時にすごく面白いですよね。「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターたちも同じように、日本古来の「お化け」や「妖怪」と呼ばれるものたちがちょっと怖くて、でも面白い存在です。身近な道具が妖怪になるという発想も、ものを粗末にしないという教えや、物にも魂が宿るという考え方に基づいています。これは完全に宗教的な考え方だと思います。

「お釈迦さん」の精神が、キャラクターという概念の中に息づいていると感じます。そうした思いを表現したかった。それが今回の「ゲゲゲの鬼太郎展」なんです。

山田晋也さん(左)と今出川行戒さん(右)が写っています。二人は和服を着てラウンジのソファに座り、楽しそうに会話をしています。山田さんは笑顔を浮かべ、今出川さんは僧侶の装いで、手を使って話を強調している様子です。テーブルには湯飲みが置かれており、リラックスした雰囲気の中で会話を楽しんでいる様子です。背景には窓からの自然光が差し込み、他の人々もリラックスした様子で座っています。
左から 山田 晋也さん、今出川 行戒さん

今出川村山そんな深い理由があったんや…。初めて聞きました(笑)。

山田:いつもはね、隠しているんですよ(笑)。

村山:すごい深い話やな。

今出川:すごい深かった。

山田:実はそういう考えを元に生まれてきた作品たちなんですよ。これは隠しネタで今初めて話しましたね。

「キャラクター」は時代を映す鏡

— すごく深いお話をありがとうございます。昔は、お釈迦様や神様が自然と拝む対象であり、心の中で共有されるキャラクター、ヒーローでもあったわけですね。それが時代とともに、頼ったり憧れたりする対象が、漫画やアニメのキャラクターに変わってきた。でも根本的な部分は変わっていないということですね。

山田: そうですね。もともと「お釈迦さん」て掘ったり描いたりしてはいけなかったんです。偶像崇拝がだめだった。でも、時代とともにその考え方が変わり、今では「お釈迦さん」の姿が普通に描かれるようになっています。結局、人間の心は昔から変わっていないんです。

昔から人間というのはそれほど変わっていないんだと思います。何かに頼りたい気持ちとか、そういう想いが滲み出たものが僕は「キャラクター」だと思うんですよ。

今の漫画、アニメファンは作品に対して「信者」に近い存在だと思います。拝んだり崇拝する、頼りにする、救いを求める対象が、お釈迦さんや、宗教だったのが、それがアニメとか漫画のキャラクターの姿になった。それだけの違いだと思います。

—つまりちょっと姿、カタチが違うだけで中身の部分は変わっていないということですね。

山田:そうです。ツールや入れ物は変わったけど、中身は変わっていない。実は一緒なんだということです。漫画とかアニメを外から客観視するとそう見えてくるんですよね。

それでも日本の原理・原則的な部分には「お釈迦さん」とか「仏教」があると思うんです。

「因果」じゃないですけど、例えば結果、果実の部分が現代のキャラクターだとするならば、因、原因には「お釈迦さん」がいると思います。

そういうものを一緒に混ぜつつも、ちょっとずつ「お釈迦さん」へも戻っていってもらえたら。僕はそんな作業をしているのかなと思います。

今出川行戒さん(左)と村山和正さん(右)が写っています。今出川さんは僧侶の装いで、前方を見つめながらリラックスした表情をしています。彼の手元には白いマスクが見えます。村山さんは笑顔を浮かべ、横を向いて座っています。二人はラウンジのような場所にいて、背景には木製の机と椅子が見えます。リラックスした雰囲気の中で、会話を楽しんでいる様子が伺えます。
左から 今出川 行戒さん、村山 和正さん

今出川村上:深いな〜(笑)。

山田:ちゃんと考えているんですよ!

今出川:僕は好きやしか言うてないな(笑)。

山田: でも、それが実は大事なんじゃないかなと思います。今出川さんはすごく無邪気で、少年心に正直な人です。それが鬼太郎にも結びついたのだと思います。今出川さんの一番良いところは、やっぱり素直っていうか、まっすぐな少年(笑)。

— なるほど。山田さんは以前も鬼太郎を描かれていますが、今回の「ゲゲゲの鬼太郎展」で新作を描かれて、改めていかがでしたか?

山田:自分の中で違和感はなかったですね。描く前から違和感はないだろうと予想はしていました。特に今回『六道踊り』という作品があるんですが、昔の仏画と鬼太郎を合わせて描くことに本当に違和感がなかった。鬼太郎たちは描いていてすごく好きでした。

ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議「六堂踊り」に展示された絵画です。上部には光輪を背にした観音菩薩が立ち、慈悲深い表情で下方を見守っています。下部には、さまざまな妖怪や神仏が描かれており、何らかの物語を表現しているようです。画面全体は淡い色合いでまとめられ、伝統的な日本の美術様式が感じられる作品です。掛け軸の装飾部分も繊細な模様が施されており、全体として非常に丁寧に描かれています。

比叡山の七不思議「六道踊り」(C)水木プロ (C)TOYOWADO

— 予想以上に違和感がなかったんですね。

今出川:シンヤくんの作品を見ても感じたのですが、僕は小さい頃住んでいたのがお寺とか山でした。だからこそ、水木しげるさんの妖怪って本当に存在していそうに感じます。単なる想像で描かれたのではなく、リアリティがあるんですよね。

山田: そうですよね。水木さんが仰っていて面白いなと思ったのが、「光ができて妖怪が消えてしまった」ということです。日本は特に明るいですよね。道の街灯も遠くまでくっきり照らしちゃう。家の中とかも今の電灯ってすごい明るい。

今出川:ほんまそうですね。でも比叡山の山中を夜一人とかで歩いているとね、今でも本当に何かいる気がするんですよ。街中はもうそういうのが感じられなくなったけど、比叡山にはまだまだ感じられるところがありますね。

次回 比叡山の「縁」が繋ぐ新しい時代のチーム

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ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議展

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