運慶展 | ヘラクレスから仏教美術へ、信仰の旅路を辿る 横須賀

横須賀美術館で開催中の「運慶展」。鎌倉時代を代表する仏師・運慶の作品を通じて、武士たちの信仰と祈りが刻み込まれた仏像群が一堂に会します。本展では、三浦一族が託した祈りを中心に、鎌倉時代の精神文化に迫る特別な時間が待っています。

一方、運慶の名作である東大寺南大門の金剛力士像。その力強い写実と象徴的な美しさの背後には、古代インド仏教の守護神ヴァジュラパーニ、さらにはギリシャ神話の英雄ヘラクレスとの意外なつながりが見え隠れします。仏教美術と異文化が交わり、遠い時代と場所を超えて形作られた金剛力士像——そこに込められた祈りと物語を探る鍵が、この展覧会に隠されています。

文化と信仰が紡ぎ出す壮大な旅路に思いを馳せながら、運慶の仏像に息づく生命力と、鎌倉時代の祈りの世界を覗いてみませんか?

運慶展に見る信仰と文化の旅路

横須賀美術館で開催中の「運慶展」は、鎌倉幕府の時代を生きた武士たちの信仰と祈りを伝える特別展です。三浦一族の一人である和田義盛が、仏師・運慶に依頼して制作された仏像を中心に、東国武士の信仰の形を体感できます。

展示されるのは、運慶作の阿弥陀三尊像や毘沙門天像(浄楽寺蔵)をはじめ、南宋から伝わった観音菩薩坐像(清雲寺蔵)など全9躯の仏像。これらの作品は、祈りの対象であると同時に、中世仏教文化の芸術的頂点を示すものです。

さらに本展は、「運慶と鎌倉」をテーマにした神奈川県立金沢文庫や鎌倉国宝館との連携展示の一環として、三浦半島に息づく歴史と文化を多面的に紹介しています。

会期: 2024年10月26日(土)~12月22日(日)

写実性と象徴性が織りなす運慶の美学

運慶が手掛けた名作の一つとして名高い、東大寺南大門の金剛力士像。この像は、ただ巨大なスケールや圧倒的な存在感だけでは語り尽くせない特別な魅力を持っています。一見すると、精緻な筋肉の描写や力強い姿勢から「写実性」が際立つ彫刻に見えます。しかし、現実の枠を超えた「象徴性」が巧みに織り込まれているのです。

たとえば、筋肉の張りや骨格のデフォルメ。これらは単に人体を模倣したものではなく、仏教の守護者としての力強さや神聖さを表現するための意図的な造形です。このように、運慶は「写実」と「象徴」という一見相反する要素を一つの作品の中に融合させました。

ギリシャから日本へ: 金剛力士とヘラクレスの意外なつながり

横須賀で開催中の運慶展。その記事を書いていたとき、何気ない飲み会の席で尊敬する先輩に話題を振ってみた。先輩は、同じライター仲間であり、ファッションセンスも文化的知識も抜群。頭脳明晰で酒豪、美しさも兼ね備えた超人であり、ひねくれた性格が魅力的な人だ。その夜も、セミロングの髪をかきあげ、メガジョッキのハイボールを一気に流し込むと、こんな話を始めた。

「金剛力士って、ヘラクレスだったんだよ。」

冗談半分の口ぶりだが、軽く知識をひけらかす先輩らしい態度で、「どうだ知らなかっただろう」とばかりに、メガネの奥の目がいたずらっぽく笑っている。金剛力士の起源がインドの神ヴァジュラパーニで、そのヴァジュラパーニが、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスだったという説があるというのだ。

私もメガジョッキの生ビールを飲みながら「ヘラクレス?へー、そうなんですか?」と適当そうに聞こえるつまらない相槌を打った。だが、内心ではその話にすっかり引き込まれていた。金剛力士、インド、ヘラクレス、ギリシャ——頭の中でデータベースと想像力を総動員し、これらがどう繋がるのかを考え始めていた。

筋骨隆々の超人的な英雄ヘラクレス。あの「彫刻の象徴」とも言えそうな存在が、どうして仏教の守護者に姿を変えたのか。その考えに浸る私に、先輩は「つまらない返事をする失礼なやつだな」とでも言いたげな視線を向けながら飲んでいた。

何気ない返事と同時に、私の中では驚きがスターターとなり、次の瞬間には思考が猛烈なスピードで回転を始めていた。金剛力士とヘラクレス——その一見かけ離れた二つの存在が、文化の交差点インドで交わるイメージが一気に浮かび上がる。思考が繋がる感覚は驚きと快感が混ざり合ったようなもので、腑に落ちるというよりは、一つの真実が急に形をなすようだった。

ヨーロッパからインドに渡ったヘラクレスが現地の神々と融合し、その後、中国を経由して仏教とともに日本に到達する。そんな壮大な文化の旅路が、私の脳内で次第に形を成していく。

以前、曼荼羅をモチーフにした作品を制作した際、古代インド仏教や神々の背景を学んだことがある。その経験が、ふいに頭をよぎった。そして比叡山延暦寺の取材や、空海に惹かれて訪れた西安への弾丸旅行も思い出された。断片的だった知識や経験が線で繋がり、「なるほど、そういうことか」と納得した。

インドのヴァジュラパーニとギリシャ神話の英雄ヘラクレス

金剛力士について調べてみると、古代インド語のサンスクリット語では「ヴァジュラパーニ」、または「ヴァジュラダラ」といい、「金剛杵(こんごうしょ、仏敵を退散させる武器)を持つもの」を意味していたそうです。

ネパール・カトマンドゥのスワヤンブナート寺院に安置された巨大な金剛杵(ヴァジュラ)。装飾が施された黄金の輝きが荘厳な雰囲気を醸し出している。
 ネパール・カトマンドゥのスワヤンブナート寺院に安置された巨大な金剛杵(ヴァジュラ) 撮影者:孫寸本

金剛杵(こんごうしょ)は、サンスクリット語で「ヴァジュラ」と呼ばれ、インド神話において雷神インドラが操る「雷電」そのもの、または武器として登場します。「金剛」の名が示すように、非常に硬い金属やダイヤモンドを象徴し、あらゆるものを打ち砕く力を持つとされています。仏教においては、煩悩を打ち砕き、悟りへと導く法具として、天台宗・真言宗・チベット仏教などで用いられています。

金剛力士像は基本的には開口の「阿形(あぎょう)」像と、口を結んだ「吽形(うんぎょう)」像の2体を一対として、寺院の表門などに安置され「仁王・二王(におう)」の名でも呼ばれています。

そんな2体の金剛力士像ですが、1体のみで表される、執金剛神(しゅこんごうしん)と呼ばれる像もあります。金剛力士が半裸であるのに対し、執金剛神は甲冑などをつけた武神の姿で表されていることが多いです。諸説はありますが、金剛力士と執金剛神は起源が同じ、または同一のヴァジュラパーニだと考えられています。

ガンダーラから中国を経て日本へ

ガンダーラ美術のヴァジュラパーニ像。仏僧たちに付き従う姿で描かれ、ギリシャ神話のヘラクレスを彷彿とさせる筋骨隆々とした姿が特徴的。ギメ東洋美術館蔵。
仏僧たちに付き従うヴァジュラパーニ (ガンダーラ/ギメ東洋美術館蔵)。
筋骨隆々とした姿がまさにヘラクレスを彷彿とさせる。
Personal photograph uploaded by World Imagingimproved by Wiki name, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

仏教史上初の仏像は紀元前50~紀元75年頃に制作されたガンダーラ仏だといわれています。そのガンダーラ仏を製作していたのが、当時移住していたギリシャ人たちでした。

(かつてガンダーラがあった冤罪のパキスタン北西部の地図。ガンダーラからシルクロード経由で日本までの陸路は、中国西域を経由し、中国大陸を東へ進み、朝鮮半島を経由して日本に至るルート。約7,000km以上あったと考えられます。)

ガンダーラは、現在のパキスタン北西部からアフガニスタン東部にかけて栄えた古代王国です。紀元前6世紀から11世紀にかけて存続し、1〜5世紀にはクシャーナ朝のもとで仏教文化が最盛期を迎えました。

この地はシルクロードの要衝として東西文化の交流点となり、ギリシャ彫刻の影響を受けたガンダーラ美術が発展。写実的な仏像やレリーフが特徴で、後に日本を含むアジア各地の仏教美術に大きな影響を与えました。

インド仏教には多神教的側面と吸収・統合の背景があります。古代インド仏教は、ガウタマ・シッダールタ(ブッダ)によって発祥(紀元前6世紀〜5世紀頃)してから、周囲の文化や宗教的要素を取り入れる柔軟性を持っていました。この柔軟性は、仏教が地域社会に浸透し、広がっていく中で、さまざまな宗教的信仰、自然崇拝、土地の神々、神話、伝説などを吸収していきました。

こうして古代インド仏教は多様性を持ちながらも一貫した世界観を築きました。この柔軟性も、仏教がインドだけでなくアジア全域に広がり、多くの文化と結びつく要因となったと考えられます。

運慶の仏像は、奈良時代から平安時代に培われた日本仏教彫刻の伝統を土台に、大陸文化の多様な影響を受けながら形成されました。それは、写実性と象徴性、柔和さと力強さといった相反する要素を融合し、鎌倉時代の新たな精神性を体現しました。

ヘラクレスの姿を取ったヴァジュラパーニと仏陀を描いたクシャーン朝時代の石彫パネル(2〜3世紀、大英博物館所蔵)。ヴァジュラパーニはギリシャ的な筋骨隆々とした姿で表現され、左手にヴァジュラ(金剛杵)、右手にチャンマラ(払子)を持ち、仏陀の守護者として描かれている。
ヘラクレスの姿を取ったヴァジュラパーニと仏陀を描いたクシャーン朝時代の石彫パネル
(2〜3世紀、大英博物館所蔵)
User:World Imaging, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

大陸文化の影響: シルクロードの贈り物

  • ガンダーラ美術と唐代彫刻: ガンダーラ美術は、ギリシャ彫刻の技法を取り入れた写実性や衣文表現が特徴です。この様式はシルクロードを通じて唐代中国の彫刻へと進化し、肉感的で生命力あふれる表現を備えました。そして唐代の仏像が奈良時代に日本へもたらされ、写実性や構造的な均整美が平安時代初期の仏像に引き継がれました。
  • 朝鮮半島からの仏教美術の流入:新羅・高麗の影響: 朝鮮半島の新羅や高麗から伝わった仏像は、柔和な表情と繊細な装飾が特徴で、日本の平安時代の仏像制作に影響を与えました。その代表例が、京都・広隆寺の「宝冠弥勒菩薩半跏像(国宝)」です。

    この像は7世紀の作とされ、右手を頬に当てた「思索のポーズ」が印象的な半跏思惟像です。作風や記録から、新羅からの渡来仏とする説が有力で、日本書紀に記された推古天皇31年(623年)の新羅請来仏とも考えられています。

    弥勒信仰が盛んだった朝鮮三国時代には、半跏思惟像が数多く制作されました。特に韓国・国立中央博物館蔵の金銅像や旧徳寿宮像は、広隆寺像と酷似しており、日韓文化交流の象徴とも言えます。

平安時代の仏像: 貴族的な優雅さの表現

平安時代前期の仏像は、唐代彫刻を基盤としながらも、貴族の好みに応じた柔和で優雅な表現が特徴でした。流れるような衣文や穏やかな表情が見られ、精神的な安定感や美的調和が重視されました。この時代の作風は、定朝様式に代表される洗練された技術と相まって、日本仏像彫刻の基盤を築きました。

鎌倉時代の新たな潮流: 武士的価値観の反映

鎌倉時代になると、社会の主導権が貴族から武士へ移り変わり、芸術にも力強さや侍の精神性を求める価値観が現れました。運慶は、父・康慶が率いた慶派仏師集団の伝統を受け継ぎながら、これまでの貴族的な柔和さを再解釈し、力強さと生命感を重視した新たな作風を築き上げました。

運慶の作品には、解剖学的に正確な筋肉表現と、象徴的なデフォルメが共存しています。たとえば、金剛力士像に見られる筋骨隆々とした姿や大胆なポーズは、単なる写実を超えた「仏教の守護者」としての力を象徴しています。このような彫刻は、武士の精神性と仏教的信仰を融合させ、卓越した新たな表現様式を開拓しました。

文化と歴史が織りなす運慶の仏像

運慶の仏像には、インド、ギリシャ、そして日本に至るまで、長い文化の旅路で培われた多様な影響が宿っています。それは、仏教がインドで生まれ、大陸を経て日本に伝わり、各地で新たな解釈と融合を繰り返してきた結果、脈々と受け継がれてきた文化的遺産の一端です。

金剛力士像に見られるように、運慶の作品には力強い写実性と象徴的な精神性が共存しています。その中で、日本独自の美意識と鎌倉時代の武士的価値観が巧みに調和し、新たな仏教彫刻の形を生み出しました。こうした仏像は、単なる宗教的な対象を超え、信仰と美術の両面で私たちに深い感動とイマジネーションを与え続けています。

文化と歴史が織り成し、混ざり合いながら日本で息づいている運慶の仏像。その存在は、時代を超えて生き続ける力を私たちに示し、文化的な多様性とその美しさを改めて感じさせてくれるものです。

ぜひこの機会に横須賀の運慶展に足を運んでみてはいかがでしょうか?

イベント詳細と関連展示情報

横須賀美術館のメインエントランス。丸いアーチ型の入り口から奥には青い海と水平線が見える。

会期
2024年10月26日(土)~12月22日(日)
開館時間:10:00~18:00
※無料観覧日:11月3日(日・文化の日)
※休館日:11月5日(火)、12月2日(月)

観覧料(税込)
一般:1,000円(団体料金 800円)
高校生・大学生・65歳以上:800円(団体料金 640円)
中学生以下:無料
※高校生(市内在住または在学に限る)は無料
※身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳をお持ちの方と付添1名様は無料
※1階で開催している企画展の観覧料は別途必要です。「お得なセット券」の詳細は公式サイトをご覧ください。

会場
横須賀美術館 地階 展示室5、6、7
〒239-0813 神奈川県横須賀市鴨居4丁目1番地

お問い合わせ
横須賀市コールセンター
TEL: 046-822-4000
受付時間:月~金曜日 8:00~18:00 / 土日祝休日 8:00~16:00

展覧会公式サイト:横須賀美術館

横須賀美術館の外観。白い美術館の建物と緑色の芝と青い空が広がっている。

三浦半島3館連携協力展示「運慶と鎌倉」

  • 鎌倉国宝館「鎌倉の伝運慶仏」
    会期:2024年10月19日(土)~12月1日(日)
    公式サイト鎌倉国宝館
    ※鎌倉国宝館の展覧会チケット(半券)をお持ちの方は、横須賀美術館「運慶展」を団体料金で観覧できます。(逆は対象外)
  • 神奈川県立金沢文庫「運慶ー女人の作善と鎌倉幕府ー」
    会期:2024年11月29日(金)~2025年2月2日(日)
    公式サイト神奈川県立金沢文庫
    ※金沢文庫「運慶」展のチケット(半券)で「運慶展」を団体料金で観覧可能。横須賀美術館のチケットも金沢文庫で相互割引適用。

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Taro Okazaki
「Guidoor Media」の立ち上げに携わり、日本の文化・歴史・観光を中心に執筆。オーストラリアでの出版社や教育機関での勤務経験を経て培った国際的な視点を活かし、日本の多様な魅力を国内外に発信しています。 文章では、地域の魅力を分かりやすく伝えることを心がけ、アートでは感情や記憶を色彩と形で表現しています。 趣味はVtuber、アニメ、音楽など。日々の好きなものが創作の原動力になっています。